肝臓がんの「陽子線治療」治療の進め方は?治療後の経過は?

監修者櫻井英幸(さくらい・ひでゆき)先生
筑波大学大学院人間総合科学研究科教授
筑波大学附属病院陽子線医学利用研究センター長
1962年群馬県生まれ。88年群馬大学医学部卒業後、英国ケンブリッジ大学リサーチフェロー、群馬大学医学部大学院講師などを経て2006年、同大大学院医学系研究科助教授。翌年准教授となる。08年より筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。現在に至る。

本記事は、株式会社法研が2012年12月25日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 肝臓がん」より許諾を得て転載しています。
肝臓がんの治療に関する最新情報は、「肝臓がんを知る」をご参照ください。

陽子線のもつ高エネルギーで的確にがんの遺伝子を壊す

 がんがある場所に狙いを定め、陽子線を照射することでがん細胞を破壊します。
 体への負担が少なく、高齢者や体力のない人でも無理なく受けることができます。

電子の1,840倍 陽子線のパワーの源はその重さ

陽子線治療の特徴

 陽子線という放射線の一種を用いてがんを攻撃するのが陽子線治療です。同じような放射線療法では重粒子線による治療もありますが、両方とも粒子(原子核)を利用していることから、まとめて「粒子線治療」と呼ぶこともあります。
 陽子線は、水素の原子核である陽子を光の速度の約70%まで加速させてつくり出したものです。陽子線治療では、陽子線のもつ大きなパワーを利用してがん細胞のDNAを壊し、細胞の分裂を止めたり、細胞死を促したりします。当施設では直径7mの陽子シンクロトロン(円形加速器)という装置を用いて陽子線をつくり出しています。医療現場でよく用いる放射線にはX線があります。X線は電子を加速させてつくっていますが、電子に比べ、陽子は約1,840倍もの重さがあります。質量が重いほど加速したときのパワーは大きく、細胞を殺傷する能力が高くなります。

ある一定の深さで一気にパワーを放出

がんの位置で最大になる線量分布

 陽子線の最大の利点は、狙った深さでエネルギーを放出できるところにあります。
 一般的なX線の場合は、体の表面近くの影響力が最も強く、徐々に弱まりながら体の中を通過していきます。
 これに対し、陽子線は体に入るときには弱い影響力で、ある深さに達すると一気にパワーが強まり、周囲に放出し、その後、消滅します。このパワーが最大になるポイントを「ブラッグピーク」といいます。この特性を利用して、肝臓のがんの位置とブラッグピークがおこるポイントとを合わせれば、ほかの正常な臓器や肝細胞への影響を最小限にとどめ、がんを狙い撃ちすることができます。
 陽子線治療は、照射範囲や深さを病巣の位置に合わせてコントロールできるという点からも、また、周囲の臓器や組織への影響を回避して合併症を最小限に抑えられるという点からも、大変優れた治療法の一つだと考えています。
 たとえば重粒子線の場合は、陽子線より質量が大きく、その分、細胞に対する破壊力は強くなりますから、正常な組織に対するダメージを注意深く考慮する必要があります。これに対し、陽子線は1回当たりの照射エネルギーは重粒子線より弱くなるものの、照射回数を増やすことで、安全・確実にがんをたたくことができます。

陽子を加速させビームを回転ガントリーから照射する

がんの大きさは不問 高齢でも受けられる

 陽子線治療は患者さんへの負担が軽い、非侵襲(しんしゅう)治療です。治療後すぐに動けるので、日帰りが可能です。体力を奪われることもありません。高齢であったり、手術に耐えられない体力であったりしても、治療を受けられるのがメリットです。
 もちろん、肝臓がんの患者さんすべてにこの治療法が、適切なわけではなく、次のような人に適しています。
 最も重視するのは、肝機能がよいことです。具体的にはChild-Pugh分類でAかBになります。
 がんの状態については、大きさに制限はありませんが、遠隔転移がなく、がんが肝臓内だけにとどまっている場合が対象となります。ただし、がんが肝臓内に複数散らばっている場合は、照射範囲が広くなってしまうため、治療ができないことのほうが多くなります。
 肝切除やラジオ波焼灼療法などによる治療が向いている場合には、その旨をお伝えします。
 そのほかの条件としては、今まで同じ部位に放射線療法をしていない、30分間同じ姿勢でじっとして寝ていることができる、といったことなどが挙げられます。

がんが血管に入り込む門脈腫瘍栓に有効

国内における陽子線治療実施施設状況

 肝臓がんに対する陽子線治療のなかで、最も治療効果が発揮されるのが、「門脈腫瘍栓(しゅようせん)」に対する治療です。
 門脈腫瘍栓は、肝臓に血液を送り込む血管である門脈にがんができる状態です。そのため血流が途絶えて肝細胞に栄養が届かなくなるため、肝機能が一気に低下し、肝不全をおこしやすくなります。
 また門脈腫瘍栓があると、肝切除やラジオ波焼灼(しょうしゃく)療法、肝動脈化学塞栓(そくせん)療法などでは治療が難しくなるとされます。
 それに対し、陽子線治療は、肝臓内の血管に入り込んだがん細胞に対しても、通常のがん細胞と同じように照射し、効果を上げることができます。血管は陽子線の影響が出にくい性質をもつ組織なので、血管に当ててもダメージは最小限ですみます。
 ほかにも、がんが大きくて肝切除ができない、肝動脈化学塞栓療法をしても再発をくり返す、持病があって治療が受けられない、というときでも、陽子線治療を受けられることがあります。
 ただ、行える施設が限られるということもあって、先進医療という位置づけにはなっていますが、保険診療にはなっていません。

●治療対象となる条件
対象となる ・がんの数が3個以内 ・胃や腸などの消化器から離れた場所にある ・遠隔転移がない
対象になりにくい ・肝機能が悪い ・腹水が多い ・がんが多発 ・同じ部位に放射線療法をしている

筑波大学附属病院陽子線医学利用研究センターの場合

治療の進め方は?

 患者さんに合わせた器具を製作後、1日2~6グレイの照射を10~40回続けます。
 照射時間は約1~2分、位置合わせなどを含めると、治療時間は20分ほどになります。

呼吸同期照射法でがんを狙い撃ちする

 肝臓は放射線に対して弱い(感受性の強い)臓器であるうえ、呼吸のたびに位置が数cmほど動きます。そこで、実際の照射にあたっては、呼吸の影響を避けるための工夫が必要です。そこで、当センターでは、呼吸同期照射法を行っています。
 呼吸同期照射法は、呼吸に合わせて一定の位置でのみ陽子線を照射する方法です。
 この呼吸同期照射法の基本的な方法を考案し、世界で初めて治療に取り入れたのは当センターです。
 この照射法では、固定具の上で横になったときの胸の動きを、レーザーセンサーを用いてチェックします。胸部にレーザーを当て、呼吸する胸の動きによって変化する距離を測ることで、呼吸に合わせて照射のタイミングをとらえることができます。
 レーザーセンサーが最も低い位置を示したときが、息を吐ききったときなので、そのタイミングを見計らって照射をします。吸ったときではなく、吐ききったときに照射するのは、そのとき胸の動きが一瞬止まり、位置が安定するからです。

呼吸同期照射法で照射位置のズレを防ぐ

治療の準備に1週間 シミュレーションで再確認

陽子線治療のカンファレンス

 当センターへの受診は、原則、紹介・予約制となります。治療の前にまず診察し、陽子線治療の対象となるかどうかを慎重に判断します。治療が行える人には治療法についてよく説明し、同意をいただいてから準備に入ります。
 陽子線治療で最も重視されるのは、がんの病巣の形に沿って、くり抜くように放射線を照射する治療の正確性です。
 そのために、撮影したCTの画像から肝臓の位置や形状、がんの位置や形状を特定し、集中して陽子線が当たるように、照射範囲や線量を調整するなどの治療計画を立てていきます。
 治療準備にあたって最初に行うのは、固定具作りです。これは体が動くのを防ぐためのもので、一人ひとりの体に合わせてオーダーメードで作られます。
 治療時はこの固定具に体を乗せます。体が固定された状態で陽子線を当てることができるので、照射のズレを防ぎ、ほかの臓器や正常な組織への照射を最小限に抑えられます。
 固定具ができたら、がんの位置、形状を正確に把握するために、実際に治療を受ける姿勢(固定具の上にあお向けに寝た状態)でCTを撮ります。
 この撮影データをもとに医師と診療放射線技師ががんの大きさや形状を測定、照射量や範囲を細かく設定していきます。
 また、このデータは陽子線の照射範囲を決めるコリメータやボーラスの製作にも使われます。

陽子線照射に必要な器具

コリメータとボーラスでがんの形に合った照射が可能

 コリメータは幅の違う薄い真ちゅう製の板を何枚も重ねて、がんの形状に合わせ、その縁をかたどったものです。真ちゅうは陽子線をさえぎるので、照射口に取りつけてから陽子線を当てることで、照射範囲をがんの形に合わせることができます。
 ボーラスはケミカルウッドというプラスチック素材でできた直方体で、がんの形に掘って使います。照射口に設置したボーラスを介して体に陽子線を当てると、ボーラスの厚みによって陽子線の当たる深さを調節できます。それによってがんの深さに応じた照射が可能になります。
 当然ながら、がんの形や大きさは患者さん一人ひとり違うので、コリメータもボーラスもすべてオーダーメードになります。コリメータは技術員と呼ばれる専門家が手作りし、ボーラスはCTのデータをもとに、機械が自動的に掘っていきます。一つのコリメータやボーラスができるまでに2~3時間かかります。

がんのある場所に金属のマーカーを埋め込む

肝臓がんの線量分布

 コリメータやボーラスが完成したら、装置にセットし、実際に陽子線を照射して、線量を測定するシミュレーションをします。これをすることで、事前に立てた治療計画と実際の照射の状況に違いがないかを確認します。コリメータやボーラスができてからシミュレーションを完了するまでに、1週間ほどかかります。
 肝臓がんの治療では、患者さんの体にシャープペンの芯くらいの太さ、数mmの長さのピンを埋め込みます。このピンは金属でできていて、局所麻酔をしたうえでがんのある場所の近くに挿入します。ピンはX線に映るので、照射するときの位置合わせの目印(金属マーカー)になります。

治療は原則外来で行われる

 治療は先に説明した準備を含め、基本的には外来で行います。
 陽子線治療を行う照射室に来たら、上半身だけ持参したTシャツなどに着替えてもらいます。女性の場合、上半身の下着ははずします。固定具の上に横になったら、診療放射線技師によって細かく位置合わせを行っていきます。呼吸同期照射法のためのレーザーセンサーの設置もこのときに行います。
 照射を行うのは診療放射線技師で、照射室の隣の制御室でモニターやレーザーセンサーを確認しながら、陽子線を照射します。
 陽子線治療で使われている照射装置は、回転ガントリーといい、患者さんは寝たままで、360度どの角度からでも照射できます。

回転ガントリー照射室

1日3~6グレイの照射を、12~50日間続ける

 陽子線治療に限らず、放射線療法では患者さんに総量でどれだけの線量(単位は人体が受ける放射線のエネルギー量であるグレイ)を当てればいいか、事前に決めておきます。
 当センターの肝臓がんの陽子線治療では、病気の状態に合わせて総線量を決めています。1日の治療で当てる線量は2~6グレイで、12~50日間続けます。
 照射中は痛みもなく、熱も感じません。全身状態やがんの位置などによって、照射回数や1回当たりの線量を変えることがあります。
 がんが肝臓の縁にあって、胃や腸などの臓器が近い場合は、それらに影響がないよう照射する線量を少し少なめにして、代わりに回数を増やします。1回の線量が少ないほど、1回当たりの作用も弱まりますが、それだけ体へのダメージは抑えられます。

治療後の経過―がんの縮小

月~金で治療し、土日は休み この流れをくり返す

 照射時間は呼吸に合わせて照射するので、それを含めると1回の治療に3~5分かかります。事前の位置合わせなどの調整を入れれば、治療時間は20~30分ほどになります。緊張で呼吸が浅い人は、リラックスするまで待ってから治療を始めます。音楽を聞きながら治療を受けることもできるので、気を紛らわせるために好きな音楽の入ったCDを持参される患者さんもいます。治療が終われば、そのまま帰ることができます。
 この流れを月曜日~金曜日まで毎日続け、土日はお休みします。この間、医師が週に1~2回診察して、主に合併症の状況を確認します。治療が完了するまで2週間から7週間かかります。
 当センターの場合、遠方から来て、近くのホテルやウィークリーマンションなどを利用する患者さんもいます。

初診から治療終了後まで治療の手順

治療後の経過は?

 経過観察は長期にわたり行います。
 がんの再発がないか、合併症が出ていないかなどチェックします。合併症では日焼けのような皮膚炎や、胃腸に症状が出ることもあります。

日常生活は制限なし 合併症はしばらくたって現れる

 治療後は、日常生活に制限はなく普段どおりに過ごせます。定期検査では、CT画像と血液検査の結果から治療効果を判定していきます。当センターでは患者さんの普段通っている施設の担当医に協力をお願いし、できるだけ長く経過観察を行います。
 具体的には、まず1カ月後の診察、次に3カ月後、半年後に受診します。そのあとは1年に1回ずつ診(み)ていきます。
 現れやすい主な合併症(早期反応)としては、しばらくたってから皮膚に赤く日焼けのような炎症がおこることがあります。かゆみが出ることもあるので、そのときはステロイド軟膏(なんこう)の塗布(とふ)などで対応しています。
 また、治療中に体がずれるなど偶発的な問題で、肝臓に隣接する胃や腸に陽子線が当たってしまった場合、そこに潰瘍(かいよう)ができることもあります。
 放射線療法では、照射後半年以上しておこる晩期反応が問題になることがありますが、陽子線治療ではそういう問題はおこりにくいとされています。

がんの局所制御率は86.8% 肝機能がよい人ほどよい結果

 当センターにおける肝臓がんの治療成績をみると、がんの再発が認められない局所制御率が86.8%と良好でした。これは1983年から1998年の間に治療をした162人(192個のがん)の肝臓がんの患者さんについて、5年間にわたって経過観察したものです(このなかには、肝機能が悪い、持病があるなどの理由でほかの治療が受けられなかった患者さんも含まれています)。
 5年生存率は23.5%という結果でした。しかし、肝機能のよい人だけを集めたデータでは、5年生存率が53.5%となりました。やはり肝機能の悪い人とよい人では生存率に大きな差が出ています。

これまで1,000人を超える患者さんに陽子線治療を実施

筑波大学の治療実績

 現在、肝臓がんに対して陽子線治療を行っている施設は、全国で7施設ありますが、最も早く治療研究を始めたのは当センターです。1983年から2012年にかけて、のべ1,080人の患者さんに治療を行ってきました。
 当センターで陽子線治療を実施しているがんのうち、最も多いのが、肝臓がん(原発(げんぱつ)性肝臓がん)で、全体の約34%に当たります。

治療の問題は費用 先進医療で約250万円

陽子線治療の基本情報

 陽子線治療では、費用の高さが問題であるといえます。2008年8月から先進医療として認められているものの、健康保険適用ではないため、治療費に約250万円ほど自己負担が生じます。治療費以外にかかる部分や、遠方からの患者さんはホテルの滞在費などを考えると、負担はとても大きくなります。
 陽子線治療は有効性や安全性、肝機能を保つという意味から、肝細胞がんに対する有用な治療法です。この治療法が広く普及して標準治療の一つとなれば、もっと多くの患者さんに利用してもらえるのではないかと考えています。