インタビュー 江幡重人(えばた・しげと)先生

[インタビュー] 2014年7月29日 [火]

facebook
twitter
google
B

江幡 重人 山梨大学医学部附属病院整形外科講師
1962年茨城県生まれ。91年山梨医科大学(現山梨大学医学部)卒業。同年東京医科歯科大学整形外科教室入局。済生会川口総合病院にて脊椎外科を専門に診療するなどしたあと、2010年4月山梨大学医学部整形外科助教、同年7月から同講師。

患者さんの喜びが医師としての喜び。できるだけ患者さんへの負担が小さい手術をしたいと内視鏡手術に取り組んできました。

 将来の進路を教師か医師かで迷った末、理科の教師を目指し、江幡先生は理学部に進学しました。ところが、実験ばかりの生活になじめず、興味は失せるばかり。

「そんなとき、ノンフィクション作家、柳田邦男(やなぎだくにお)さんの、『ガン回廊(かいろう)の朝(あした)』を読み、医学を志そうと思い直したのです」

 当初は「脊椎外科についてはよくわかっていなかった」という江幡先生でしたが、初期研修などで経験を積むうちに、劇的に患者さんを変える脊椎手術の力に魅せられていきます。医師になって数年目に手術をした60歳の女性患者さんのことは今でも忘れられません。

「自分にとっては、初めての3カ所の固定術(変性側弯症)。幸い手術はうまくいき、患者さんはよほどうれしかったのでしょうか。退院後も診察で外来にいらっしゃるたびに『こんなによくなってうれしい』と涙を流して喜んでくれるのです」

 患者さんのつらく苦しい思いを取り去り、生活を楽にしてあげられる、それが、脊椎外科の大きな魅力です。気がつけば、脊椎外科を一生の専門としていました。

「患者さんの喜びが、自分の喜び」と素直に思える江幡先生が、できるだけ負担の小さい手術(内視鏡手術)に取り組みはじめたのも自然の流れだったのかもしれません。「真摯(しんし)に続けていただけ」という江幡先生ですが、その正確で安全性の高い技術への評価は、患者さんの口から口へ徐々に広がり、いつの間にか「ぜひ江幡先生にお願いしたい」と名指しで訪れる人が現れはじめます。

「最初は、自分でも戸惑うやら驚くやら。でも、患者さんが認めてくれるのは、正直うれしかったです」

 山梨医科大学(現山梨大学医学部)卒業後、関東圏の病院をいくつか経験し、江幡先生が、山梨大学に戻ったのは2010年のことです。

「以前いた埼玉県は人口10万人当たりの医師数が不足しているという状況でした。しかし、ここに来て、地方の医療が置かれた厳しさを改めて感じています」

 若手の医師がなかなか定着しない、ベッドが十分に稼働しないなど、課題はいろいろありますが、それを嘆き、憂えるだけでなく「より大きな使命感をもって、地方に根づいた医療を実現しなければ」と江幡先生は決意を新たにします。

 山梨近郊の患者さんの特色にも目を向けます。「後弯症の患者さんが多いことに驚きました。これは背骨が後方に弯曲して前かがみになるものです。きちんと調べたわけではありませんが、農作業の影響があるのかもしれません」

 重症になると、前かがみの姿勢により胃が圧迫され、食事がうまく通らず2日に1回は嘔吐(おうと)する患者さんもいるそうです。「20kgも体重が減ってしまったという患者さんも経験しています。ほかの病院ではなかなかできない手術なので、あきらめている方も多いかもしれませんが、私たちのところでは積極的に治療しています。手術で背骨をのばせば、食事が普通にとれるようになり、嘔吐することもなくなります。多少の胃腸障害や、歩行障害が残ることもありますが、生活の質は大きく改善します。症状が強く、生活が思うように送れないと、精神的にも参ってしまうことがあるので、手術のタイミングは大切です」

 劇的な効果が脊椎外科の魅力ですが、万能でないことも、また事実。「患者さんの困っていることの核心を引き出し、自信と信頼をもって治療に臨むため、治せる部分、治せない部分など、できるだけ医学的に正確な説明を心がけている」そうです。

 腰部脊柱管狭窄症の患者さんには、適切なタイミングでの、適切な治療を呼びかけています。

「腰部脊柱管狭窄症で歩けなくなると、糖尿病など生活習慣病が悪化する場合があります。外出がおっくうになると、精神面の問題がおこってしまうこともあります。適切な治療を受けることが、長い目で見て人生のプラスになると思いますよ」

(名医が語る最新・最良の治療 腰部脊柱管狭窄症・腰椎椎間板ヘルニア 平成25年2月26日初版発行)

記事の見出し、記事内容、およびリンク先の記事内容は株式会社QLifeの法人としての意見・見解を示すものではありません。
掲載されている記事や写真などの無断転載を禁じます。

「痛み」の注目記事