貴方は決して一人ではない!死を選ぶ前に知って欲しいこと
投稿者 編集長Mio | サプリメントコラム |
4月24日に投稿した「楽に死ねる方法など無い!硫化水素自殺の闇」というコラムに対し多くの読者の方からメールやコメントを頂いた。頂いた全てのメールやコメントを拝見する中で、大半の読者の方々の自殺に対する深い憂慮と死を考える方への励ましに、とかく人間関係が希薄と言われる現代において、まだまだ捨てたものではないと安堵した。
硫化水素による自殺は後を絶たず
一方、「本当に苦しんでいる人には頑張れという声は届かない」「生きるのが辛いから死を選ぶんだ」というような、自殺する事を選択せざるを得なかった方々への理解や同調を求めた内容も寄せられた。また「死ぬ奴は好きにさせればいい」「人に迷惑をかけるな」というような内容もあった。
投稿後も残念ながら、硫化水素による自殺は後を絶たない。自殺がブームと言われる事に薄ら寒いものを感じる。今回、硫化水素自殺を取り上げたが、実際、日本では年間3万人以上が自殺しており、件数は増加傾向だという。多くの人々が自分の人生に自ら幕を下ろす決断をせざるを得ない事に正直、愕然とする。
「死」は究極的な問題の解決法なのか
時に「死」が究極的な問題の解決法であると言われる。これは、ある意味正論だし否定はしない。自殺はもっともタブーとされる国々ですら自殺は存在するのだから、知恵を持った人間の宿命なのかもしれない。
筆者は自殺を考えた事は無いし、自ら命を絶つ究極の選択をしてしまう、あるいはせざるを得なかった方々の気持ちを憶測では語る事は出来ない。そんな些細なこと・・と思うことでも思い悩む人は悩んでいるのだろう。コメントを寄せていただいた方の中にもあったが、本当に苦しんでいる人に「頑張れ」という言葉は届かないのかもしれない。
一方、「このサイトをみたら私はもう一度頑張って生きようと思いました。」という力強いコメントを頂いた。涙があふれた。。。
もしも貴方が死を選ぶことを考えているなら、一つ知ってほしい。
悩み、苦しみを背負い、生きることは容易い事ではない。でも、貴方は決して一人ではない。貴方は一人で生まれてきたのではない。貴方が思っているより多くの人々が、自殺のニュースを聞くたびに心を痛めている事を知って欲しい。
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心が死を選んでも60兆の細胞が生きたがっている
という文字を読んだ瞬間涙が溢れました。
死がいつも頭をよぎります。
自分の手で『死ぬ』いうより、全てを放り出したいような、
すぅっと消えてしまいたいような、そんな気分が続いている中で、
サイトの内容や言葉はものすごく胸に来るものがありました。
私は痛いのも苦しいのも嫌だから、自殺はできないでしょう。
心が死を選んでも、60兆の細胞が生きたがっている。
この言葉胸に刻みます。
どうもありがとう。
世界の中でも豊かだといわれている この日本で自殺者が減らないのは、やっぱり今のこの社会のしくみが間違っているんだと思います。
新卒採用にばかりこだわる会社 人を使い捨てのようにぞんざいに扱う会社 一度路線から外れたらなかなか元にはもどりづらい・・・ そのくせ勝組みだの負け組みだのいって 弱いものをさらに追い詰める。
悪知恵が働いてずるがしこい人間がうまく世の中渡って行って 真面目な人ほど損する世の中になっていませんか?
こんな人に冷たい社会嫌になりますよ。
失敗しても何度でもやり直せる 希望の持てる社会になってほしいです。
QLifeスクエア…
「QLifeスクエア」という病院検索口コミサイトを拝見したんですが、私はその中でも「サプリメントコラム」というページがとても気になりました… (more…)
『悩み、苦しみを背負い、生きることは容易い事ではない。でも、貴方は決して一人ではない。貴方は一人で生まれてきたのではない。貴方が思っているより多くの人々が、自殺のニュースを聞くたびに心を痛めている事を知って欲しい。』
この言葉に、とても勇気づけられました。
これからも、頑張って毎日生きていきます。
自殺を思いとどまるよう呼びかける言葉として、よく「あなたの死を悲しむ人は、意外にたくさんいる」というのがあるのですが、私はいつもそれを読むたびに、「そんなことない」と思ってしまうのです。
実際、私が死んだとして、本当に身をよじって嘆き悲しむのは両親か、それプラスきょうだいぐらいでしょう。恋人や配偶者、実子などがいれば、彼らも両親と同じぐらい悲しむとは思いますが、私のような孤独な独り者の場合は該当しません。友人・知人などは、死を知ればいくらか悲しんでくれるとは思いますが、しばらくすればすぐに平気になり、また普通にそれぞれの日常に戻っていき、何もなかったように笑ったり楽しんだりできるようになるでしょう。それが嫌だと言っているわけではありません。それが現実だと思っています。だから、それを考えるとどうしても「悲しむ人がたくさんいるから死んではいけない」、という意見に同意できないのです。両親のいない人は、死んでもいいんじゃないか、などと思います。よほど人格者で、多くの人に慕われている人物でなければ、死を心から悲しんでくれる人は、周りにそれほど多くないと思うからです。
私がまだ生きている理由は、自殺の痛みや苦しみが怖いからと、あとはやはり両親が健在で、二人を悲しませることが辛いと思うからです。それさえなくなれば、つまり両親が旅立ってしまえば、あとはもう、私をこの世に強く引き止めるものは何もなくなります。
自殺を思いとどまるよう呼びかける色々な文章をいくら読んでも、この私の考えを覆してくれる反論に、今まで出会えたことがありません。もしそういう反論をご存知の方がおられれば、教えていただければと思います。
上のササさんのコメントに賛同します。反論を知りたいというところまで含みで。
思いつきですがこんな仮説はいかがでしょう。
自分が自死を選ぶことによって、それを知った人たちが自死を身近に感じる。そのことによって自死という選択肢が、その人たちの中で必要以上に大きなウエイトを占めてしまい。その人たちが自死を選ぶべきでない場合に、自死を選択してしまう。 → よって自分は自殺すべきでない。
この仮説の問題点として以下のものが現時点で私自身が気づいたものです。
①そもそも、仮説の前提として本人の死にたいという意思が尊重されておらず、また、「その人たち」の命の方を自分の命よりも尊重する理由が明確になっていない。(注1)
②友人や知り合いの死を知ることが、その人たちの「選択肢」の選び方に影響を与えるのか全く疑問である。
③現状においては、ある人にとっては、自死という選択肢はもっと選択肢としてウェイトを占めるべきであるかもしれない。
④「自死を選ぶべきでない場合」など誰が決めることができるのか、という疑問がある。
以上、全くの思いつきですので、誹謗中傷でなければ(「なんてセンスの悪いペンネームだ」などでなければ)、思いつきでかまいませんので、みなさまの考えたことを聞かせていただければ幸いです。考え途中でもコメントされないよりは聞かせてくださったほうが嬉しいです。
以下余談めいた「注」。
(注1) 自分の選んだ自死という行動が原因となった「その人たち」の選択ミス による死亡者数が2人以上だと仮定した場合には、「自分という1人が我慢すれば、2人以上の自死を選ぶべきでなかった命が助かる。だから君は死ぬべきでない」という言い方もできる。
しかしここで注目したいのは、命を‘数’で秤にかけているという点。‘命’自体ではないですが、「学校で授業の足を引っ張る1人は、他の大多数の‘できる’生徒の学ぶ権利を侵害する恐れがあるので、やむを得ないが、平常の授業時においてはほっておいてただ静かにしてもらうしかない」といった言い方と同じような空気を感じるのは私だけでしょうか。(一概にこのような考え方を否定している訳ではないのですが。)
私は、自分を殺すことをやめました。
自分を許すことにしました。
たまに私の事を思い出してくれる人がいるはずです。
私がたまに、ふと誰かのことを思いだすように。
自分には何もありません。
死んだおばあちゃんに何度も迎えにきてほしいと祈りました。
何もいいことなんて、見つからないかもしれないけれど明日は起きて仕事に行き、何も考えるのはやめてただ生きてみようと思いました。
それだけでいいんだと自分に言い聞かせて毎日の時間をつぶして生きてみることにしました。
明日、事故にあうかもしれません。
それでもいいです。
むしろそっちの方が自分の人生を受け入れられるかもしれません。
ただ毎日生きます。