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[クリニックインタビュー] 2014/04/25[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第161回
菊池がんクリニック
菊池義公院長

産婦人科からがん研究の道へ

 実は、子どものころは医師になろうという気持ちはまったくなく、天文学者になりたいと思っていました。ところが、高校のときに祖父と母が相次いでがんになり、母は早期発見で手術をして治りましたが、祖父はまだ抗がん剤などの良い治療法もなかった時代だったので、亡くなりました。自分の病を押して懸命に看病する母の姿や、苦しむ祖父の姿を間近で見た体験から、医師への道を考えるようになりました。ただ、病院というとなんとなく暗いイメージしかなく、本音では、「そんなところで一生過ごすのはイヤだな」という思いもありました。
 医学部卒業後、インターンで1年間各診療科を回っていたとき、産婦人科でお産に立ち会ったことがありました。そこは、それまで持っていた病院のイメージとは全く違う世界でした。新しい命が生み出される場所ですから、みんな喜んでニコニコしているのを見て、「この科だ!」と思ったのです。明るさ、そのただ1つの理由で産婦人科に決めました。
 とにかく早く仕事を覚えたいと、先輩医師が開業した産婦人科病院で当直をさせてもらったのですが、そこは月に約300件のお産がある病院で、多いときは一晩で10人ぐらい産まれる(笑)。ほとんど眠れないまま、昼間は大学病院での激務をこなすという毎日でした。
 勤務していたのが大学病院ということもあり、病気を合併している妊婦さんも多く、婦人科のがんの研究にも着手するようになりました。婦人科のがんはいくつかの種類がありますが、なかには発見が難しく進行が早いものもあります。定年まで40年以上、そういう難治性がんの性質を明らかにし、早期発見、治療法確立のための研究と治療に取り組み続けました。

できる限りふつうに生活できるがん治療を目指して

 日本のがん治療では、入院治療が主で、私は長年そのことに疑問を持っていました。がんであっても、悪性度が高く進行の早いタイプのもの以外はそれほど急激に進行することはなく、ふつうに生活できることも多いのです。入院すれば病院の規則に縛られ、外にも出られないし、自由に人とも会えなくなり、運動不足にもなる。それより、できるうちは仕事も家庭生活もふつうに送れるほうが、患者さんにとっては良いと思ったのです。
 アメリカ留学したとき、がん治療が外来でおこなわれるのを見て、日本でもこうすれば良いのにと思いました。帰国後、大学病院でも提案しましたが、現状のシステムでは対応が難しいようで、実現しませんでした。そこで、定年退官後、女性のためのがん治療専門のクリニックを開業しました。
 クリニックでは、「ゆとりの医療」「気配りの医療」「安心の医療」「安らぎの医療」「最新の医療」「満足の医療」「夢のある医療」をモットーに、抗がん剤や分子標的薬を用いたがんの治療を日帰りでおこなっています。副作用や病状をチェックするためにも、受診は週に1回。関東近県だけでなく、鳥取や熊本など遠方から飛行機で通っている患者さんもいらっしゃいますが、治療が終わればみなさんお帰りになります。
 同じがんでも、患者さんによって進み方や薬の効果・副作用の出方もさまざま。ですから、ひとりひとりの患者さんとじっくり向き合って、病状や進行度、体質、副作用の出方、患者さんが一番つらいことは何かなどをよく聞いた上で、薬を選んだり量を調整したりする「テーラーメイドの治療」をおこなっています。副作用が強いといわれる薬でも、きめ細やかにコントロールすることで副作用がほとんど出ない人もいるんですよ。

QOLを維持するために、お伝えすること、しないこと

 この仕事をしていて、大変だと思ったことは一度もありません。苦労と思うぐらいなら、この仕事を選んではいませんから。反対に、喜びややりがいを感じることはたくさんあります。何より、患者さんが良くなったときが一番うれしい。前に受診した時はとてもつらそうだった患者さんが、1週間後にスタッフも驚くほど元気になっていることもあります。そういう人もいるのですから、安易に余命宣告などしてはいけないと思っています。
 私は、患者さんに聞かれても余命を区切って言うことはしません。なぜなら、未来のことは誰にもわかりませんから。人間は、生まれた瞬間からいつか必ず死ぬことが決まっています。でも、いつ死ぬかは誰にもわからない。私だって明日、死ぬかもしれません。健康な人ががんの人より長生きするとは限らないのです。
 ですから、患者さんにはいつも「メモリー(思い出)のために今日を一生懸命生きましょう。過去はヒストリー(歴史)、未来はミステリー(謎)だ」とお伝えしています。過去は、反省して未来に活かすことはできますが、いくら悔いても何も変わりません。未来は謎で、だからこそ今日を良い思い出にするためにしっかり生きることが大切。一生懸命に今日を生きれば、自然に明日が来るのです。

自分のからだは自分で守る、11のモットー

 大学病院に勤めていたころ、とくに40代ぐらいまでは自分の健康のことなど一切考えたことがありませんでした。病院に寝泊まりしながら研究や治療に没頭し、少ない睡眠時間なのに同僚や先輩と飲みに行ったりもしましたね。でも、クリニックを開業するという新たな夢を持ち、「これは絶対に患者さんのためになる」「絶対にやる」と強い気持ちで開業したときに、これまでの生活を改めようと決意しました。長生きしたいという執着心はありませんが、健康でなければ患者さんを診ることはできませんから、深酒もしなくなったし、優等生になりましたよ(笑)。
 早寝早起きをする、良好な睡眠をとる、適度な運動をする、頭の体操をする、緑黄色野菜の摂取、禁煙・アルコールは控えめに、趣味を持つ、多くの友人を持つ、腹八分目を守る、今を楽しく明日に向かって生きる、自分の身体は自分で守る、という「がんになりにくい身体を作るための11のモットー」を作り、自分でもそれを守っています。
 がんの治療をしていくと、必ず末期治療が必要なときが訪れます。将来的には、ホスピスを作りたいという夢もありますが、そうなると365日24時間患者さんを診ることになるので、設備の面でもマンパワーにおいても課題は多いと感じています。そういったことも考えつつ、これからも、今と同じように目の前の患者さん1人1人としっかり向き合い、それぞれの患者さんに最適な治療を提供していくつもりです。

取材・文/出村真理子(Demura Mariko)
フリーライター。主に医療・健康、妊娠・出産、育児・教育関連の雑誌、書籍、ウェブサイト等において取材、記事作成をおこなっている。ほかに、住宅・リフォーム、ビジネス関連の取材・執筆も。

医療法人財団 宝積会 大木記念 女性のための 菊池がんクリニック

医院ホームページ:http://www.kikuchiclinic.com/index.html

西武西武園線「西武園」駅より徒歩15分。西武池袋線「所沢」駅よりタクシーで約10分。
自然豊かな庭園に体も心も癒やされる、緑に囲まれたクリニックです。
詳しくは、医院ホームページから。

診療科目

婦人科

菊池義公(きくち・よしひろ)院長略歴
1966年 千葉大学医学部卒業
1967年 千葉大学医学部産婦人科入局
1972年 千葉大学医学部産婦人科助手
1979年 米国ワシントン大学、アラバマ大学へ留学
1981年 防衛医科大学校産婦人科学講座講師
1989年 同大産婦人科学講座助教授
2001年 同大産婦人科学講座主任教授
2005年 定年退官 菊池がんクリニック開設


■所属・資格他
日本産科婦人科学会専門医、日本がん治療認定医、日本婦人科腫瘍学会認定腫瘍専門医、日本産科婦人科学会功労会員、日本癌治療学会功労会員、日本婦人科腫瘍学会名誉会員、日本婦人科がん分子標的研究会代表世話人、埼玉県臨床細胞医会会長、米国癌学会・癌治療学会会員、欧州臨床腫瘍学会会員


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