糖尿病性網膜症の治療法執筆者:聖路加国際病院院長 福井 次矢
糖尿病性網膜症とは、どんな病気でしょうか?
おもな症状と経過
慢性的な高血糖(血液中の糖濃度が高い状態)を糖尿病と呼び、血糖値のコントロールが悪いまま糖尿病が進行すると、全身の毛細血管や神経組織のさまざまな合併症がおこってきます。糖尿病性網膜症はそうした糖尿病の三大合併症の一つです。
糖尿病性網膜症は網膜(眼球の奥にある、視神経が分布している部分)の毛細血管がもろくなり、血管壁が破れて出血しやすくなったり、血管がつまる血栓ができやすくなったりします。ほとんど自覚症状のないままに進行するため、手遅れになって失明に至ることも少なくありません。糖尿病と診断されたら、眼科での定期的な検査を受けたほうがいいでしょう。
糖尿病性網膜症の進行度合(病期)は単純性網膜症(もっとも初期の段階で、網膜の毛細血管に血管瘤ができたり、点状・斑状出血などの出血がみられる)、増殖前糖尿病性網膜症(新生血管が増殖する前の段階で、出血や血液の一部が漏れだす頻度が高くなり、毛細血管が拡張したり、急に途絶えるといった異常がみられる)、増殖糖尿病性網膜症(新生血管が増殖しその周囲に増殖膜ができ、出血が頻繁におこる。網膜剥離をきたす場合もあり、この段階ではじめて視力低下などの自覚症状が現れる)といった三段階に分かれ、それぞれの病期によって治療の方針が変わってきます。
病気の原因や症状がおこってくるしくみ
慢性的に高血糖状態が続くと毛細血管がもろくなったり、血栓ができやすくなったりします。そのため、血液の流れが滞り、網膜の細胞が壊死すると、新しい血管(新生血管)が形成されますが、この血管は非常にもろく、出血がおきたり、血液の成分が漏れだしたりすることもあります。
病気の特徴
糖尿病は中高年に多い生活習慣病ですが、一般に糖尿病を発病して10年ほどで網膜症を合併するといわれています。毎年3000人程度がこの病気のために失明していて、わが国の成人での失明原因のトップにあげられています。
治療法とケアの科学的根拠を比べる
| 治療とケア | 評価 | 評価のポイント | |
|---|---|---|---|
| 単純性網膜症 | 血糖値を正常の範囲でコントロールする | ★5 | 網膜症の進展を阻止するためには、まず血糖値をコントロールすることが重要です。その方法としては食事療法、運動療法、薬物療法があります。これらの効果は非常に信頼性の高い臨床研究によって確認されています。ただし血糖値をあまりにも急激に変動させると網膜症を悪化させることがわかっているため、食事や運動は医師の指示に従って慎重に行うべきです。 根拠(1)~(4) |
| 増殖前糖尿病性網膜症 | 出血や血液の成分が漏れだし、滲出斑や軟性白斑が多くみられる場合は薬を用いる | ★5 | 毛細血管が拡張したり、急に途絶えるといった異常がみられる場合は、止血薬や抗血小板薬を用いて経過を観察することがあります。内服薬の効果は非常に信頼性の高い臨床研究によって確認されています。 根拠(5)(6) |
| レーザー光凝固療法を行う | ★5 | 壊死に陥った神経組織をレーザー光で凝固させる方法です。壊死部分が広がるのを食い止め新生血管の増殖を防ぐことができます。この治療の効果は、非常に信頼性の高い臨床研究によって確認されています。 根拠(7)~(9) | |
| 増殖糖尿病性網膜症 | レーザー光凝固療法を行う | ★5 | 新生血管の増殖がそれほど広がっていなければレーザー光凝固療法を行います。この効果は非常に信頼性の高い臨床研究によって確認されています。 根拠(7)~(9) |
| 新生血管が増殖し、網膜剥離をきたしている場合などには硝子体手術を行う | ★3 | 症状が進み新生血管が発生した場合は、レーザー光凝固療法での治療は困難になります。その段階で硝子体手術(硝子体から増殖した新生血管や増殖膜を取り除く)を行うことの有効性は臨床研究によって確認されています。しかし、視力の完全な回復はのぞめないことが一般的です。 根拠(10)~(12) | |
よく使われる薬の科学的根拠を比べる
血糖降下薬については「糖尿病」の項を参照してください。
止血薬
| 主に使われる薬 | 評価 | 評価のポイント | |
|---|---|---|---|
| アドナ(カルバゾクロムスルホン酸ナトリウム) | ★3 | 新生血管からの出血を抑えます。いずれの薬も臨床研究による有効性が確認されています。 根拠(13)(14)(15) | |
| S・アドクノン(メシル酸アドレノクロムモノアミノグアニジン) | ★3 | ||
血液の循環を改善する薬
| 主に使われる薬 | 評価 | 評価のポイント | |
|---|---|---|---|
| カルナクリン/カリクレイン(カリジノゲナーゼ) | ★3 | 臨床研究によって効果が確認されています。 根拠(16)(17) | |
血液が固まるのを防ぐ薬(抗血小板薬)
| 主に使われる薬 | 評価 | 評価のポイント | |
|---|---|---|---|
| バイアスピリン(アスピリン) | ★5 | フランスとイギリスの研究者たちが、糖尿病性網膜症の患者さん475人を、アスピリンのみ、アスピリンとジピリダモールの組み合わせ、プラセボ(偽薬)のいずれかの治療を受ける3群に分けて、約3年間観察するという非常に信頼性の高い臨床研究を行っています。その結果、アスピリンのみ、アスピリンとジピリダモールの組み合わせの2群ではほぼ同じ程度にプラセボ群よりすぐれ、網膜症の進展を防ぐことができたと報告されています。 根拠(18) | |
総合的に見て現在もっとも確かな治療法
網膜の変化を起こしている原因は糖尿病
糖尿病性網膜症は糖尿病の三大合併症のうちの一つです。糖尿病自体も自覚症状が乏しいものですが、糖尿病性網膜症も症状が現れるころには、すでにかなり進展しており、失明の可能性が非常に高くなります。わが国での成人の失明原因のトップとなっています。糖尿病と診断されたら、定期的に眼科を受診し、経過を観察してもらうべきでしょう。
糖尿病性網膜症の治療は、糖尿病に対する治療と異常をきたした網膜の治療の二つに分けて考えられます。網膜の変化をおこしている原因は糖尿病にあるのですから、血糖値を厳密にコントロールする必要があるのは当然です。
血糖値のコントロールが治療のポイント
しかし、血糖値をあまりにも急激に変動させると網膜症を悪化させることがわかっていますので、徐々に低下させていくような注意が必要です。医師の指示にしたがって、食事療法と運動療法、薬物をうまく組み合わせて、血糖値をコントロールしなくてはなりません。
レーザー治療や内服薬を組み合わせて失明を阻止
網膜症そのものについては、新生血管の増殖がそれほど広がっていなければ、レーザー光での凝固療法が有効なことが証明されています。
長期的にはアスピリンの服用が網膜症の進展を予防することも示されていますので、それらを組み合わせて、網膜症の進展とその最終的な合併症である失明をなんとしても防ぐ必要があります。
おすすめの記事
根拠(参考文献)
- (1) Shichiri M, Kishikawa H, Ohkubo Y, et al. Long-term results of the Kumamoto Study on optimal diabetes control in type 2 diabetic patients. Diabetes Care. 2000;23(Suppl 2):B21-B29.
- (2) The effect of intensive treatment of diabetes on the development and progression of long-term complications in insulin-dependent diabetes mellitus. The Diabetes Control and Complications Trial Research Group. N Engl J Med. 1993;329:977-986.
- (3) Effect of intensive blood-glucose control with metformin on complications in overweight patients with type 2 diabetes (UKPDS 34). UK Prospective Diabetes Study (UKPDS) Group. Lancet. 1998;352:854-865.
- (4) Intensive blood-glucose control with sulphonylureas or insulin compared with conventional treatment and risk of complications in patients with type 2 diabetes (UKPDS 33). UK Prospective Diabetes Study (UKPDS) Group. Lancet. 1998;352:837-853.
- (5) Klein M, Hirche H. Naftidrofuryl in the treatment of simple diabetic retinopathy. A double-blind study. Klin Monatsbl Augenheilkd. 1985;187:195-201.
- (6) Akanuma Y, Kosaka K, Kanazawa Y, et al. Long-term comparison of oral hypoglycemic agents in diabetic retinopathy. Gliclazide vs. other sulfonylureas. Diabetes Res Clin Pract. 1988;5:81-90.
- (7) Photocoagulation for proliferative diabetic retinopathy: a randomised controlled clinical trial using the xenon-arc. Diabetologia. 1984;26:109-115.
- (8) Stenkula S. Photocoagulation in diabetic retinopathy. A multicentre study in Sweden. Acta Ophthalmol Suppl. 1984;162:1-100.
- (9) Photocoagulation for diabetic maculopathy. A randomized controlled clinical trial using the xenon arc. British Multicentre Study Group. Diabetes. 1983;32:1010-1016.
- (10) Packer AJ. Vitrectomy for progressive macular traction associated with proliferative diabetic retinopathy. Arch Ophthalmol. 1987;105:1679-1682.
- (11) Lewis H, Abrams GW, Williams GA. Anterior hyaloidal fibrovascular proliferation after diabetic vitrectomy. Am J Ophthalmol. 1987;104:607-613.
- (12) Ehud A, Varda C, Joseph M, et al. Management of complicated retinal detachment by vitrectomy and silicone oil injection. Metab Pediatr Syst Ophthalmol. 1988;11:63-66.
- (13) 加藤作郎,他. 臨牀と研究. 1975;52:1567.
- (14) 馬場賢吾,他. 薬物療法. 1975;8:2311.
- (15) 渋谷 健,他. 東京医科大学雑誌. 1975;33:143.
- (16) 橋本忠男,他. 眼科臨床医報, 1981;75:1741.
- (17) 荊木良夫. 日本眼科学会雑誌. 1956;60:1500.
- (18) Effect of aspirin alone and aspirin plus dipyridamole in early diabetic retinopathy. A multicenter randomized controlled clinical trial. The DAMAD Study Group. Diabetes. 1989;38:491-498.
- 出典:EBM 正しい治療がわかる本 2003年10月26日初版発行