すべては当たり前じゃない、今置かれている環境に感謝と幸せを
[僕と私の難病情報] 2023/04/26[水]
ゴーシェ病の娘との日々やつらい経験を糧に活動を続け、多くの人の光に
5月4日はゴーシェの日。ゴーシェ病の認知度を高めるために、日本ゴーシェ病の会が制定した記念日です。ゴーシェ病は、細胞内小器官のライソゾームに含まれる酵素が異常を起こすライソゾーム病の一種で、国が指定難病に定めている希少な病気です。日本人の33万人に1人が発症するとされています1)。ゴーシェ病患者さんの家族で、自身の経験を通して多くの人の背中を押すために、SNSでの積極的な発信や衣類などを販売するennの運営を行っているせき たくまさんに、活動への思いを伺いました。
なお、冒頭のイラストはennで販売する商品のデザインを担当するなどたくまさんと共に活動している小百合さんが、本記事の掲載のためにたくまさんのイメージで描き下ろしたもの。インタビュー時にたくまさんにご覧いただきました。
小百合さんがイラストに込めた想い
暗いところから
歩み始めた人
その向こうには
明るい未来(希望)が、待っている、見えている(空と木と花で表しました)
傍観者ではなく、一緒に歩んでいる、同じ方向を見ているのを表現したく、後ろからのアングルで描きました。また、たくまさんが新しいことにチャレンジしていく様を、見ていきたい、ついていきたい、という想いも込めました。
【人】に関しては、たくまさんの娘さんである花音ちゃんを想って描いてみました。
SNSでつながった縁ですが、花音ちゃんの存在がなかったら、きっとこのご縁もつながっていないなーと。イラストを描かせてくれた、花音ちゃんにも感謝の気持ちでいっぱいになりました。
こんな想いを素直にイラストに込めたくて【だれかを喜ばせたい、素敵なイラストって思われたい!】というのは捨てて、自分の気持ちだけを込めて描きました。
母と弟が障がいを持ち、娘を難病で亡くし、現在は、障がいと共に生きている方たち一人一人の「得意」を活かした仕事のお手伝いをしています。
娘の死を乗り越えた自身の経験を誰かのために役立てたいという思いから個人ではセミナーの開催、スタッフ等の活動をしています。
https://www.instagram.com/takuma_enn/
オンラインアパレルショップ enn
https://enn0.paintory.com/
どんな重度な障害を持っていても住みたい場所に暮らして、したいことして自分らしく生活しています
つらい経験から得た考え方や価値観を発信していくことが私の宿命
娘の花音は2017年11月22日、ゴーシェ病というギフトを授かって、私たちのもとに生まれてきてくれました。花音は、私が幼少期から祖父と叔父に育てられ、夫婦で子どもを持つ家庭を望んできた中で誕生した奇跡です。約3年半、花音が生涯を閉じるまで一緒に幸せな時間を過ごしました。花音と暮らす中でも、新型コロナウイルス感染症の影響で勤めていた会社が倒産するという経験をし、花音が亡くなった後は、夫婦関係の悪化から妻とは別々の道を歩んでいます。現在は、これまでのつらい経験を通して得た考え方や価値観を発信していくことが私の宿命だと考え、多くの人のよい未来を願って、SNSでの投稿とennの運営を続けています。
こうした背景から、今回の記事に掲載するイラストは、暗いと思っているところから明るい世界に向かっていく様子を階段で表したいと思っていました。私の中では、階段を上るのは私自身のイメージだったんです。でも、小百合さんが描いてくれたのは、私の視点で花音とともに明るい世界に向かっている姿でした。
イラストを見て、私に関わってくれている人たちに改めて愛と感謝の気持ちが溢れてきています。SNSやennの活動を通じて多くの方とつながってこられたことにも、よかったなと再認識しています。
出生から2週間でゴーシェ病と診断、余命1年の宣告
逆子だった花音は、帝王切開で生まれてきました。生まれたときから、全身の肌がカサカサだったことと体がすごく小さかったことから何らかの病気を疑われ、さまざまな検査を行いました。ゴーシェ病と診断されたのは出生から2週間後。1年しか生きられないだろうという余命宣告付きでした。
私は病気ではないのに、私の血が半分入った子が病気で生まれてきたという事実に、ごめんねという気持ちでいっぱいでした。すごくつらかったです。
診断を受けてからはすぐにゴーシェ病の治療ができる医療機関に転院し、ようやく一緒に暮らすことができたのは2018年のお正月です。それでも、すぐに体調を崩してしまって入院するような生活で、生後間もない頃はなかなか一緒に暮らすことがかないませんでした。
花音に残されている命とどう生きようか――。一緒に暮らせるようになってからはそればかりを考え、横浜中華街や鎌倉、アンパンマンミュージアム、そしてプロレスまで、さまざまなところに出かけ、たくさんの思い出を作りました。
余命1年と言われていたところ3年半一緒に暮らすことができたのは、携わってくれた医師が熱心に病気を調べ、早期診断と早期治療に結びついたことも大きいと感じています。
人が抱えている悩みの解決につながる存在に
SNSで積極的に投稿をするようになったのは離婚後、一人暮らしを始めたタイミングです。寂しさを埋めやすい場所がSNSでした。当初は、ゴーシェ病など難病を抱えている人たちへ思いを込めて投稿していましたが、現在は難病に限らず、人がそれぞれ抱えている悩みの解決につながる第一歩の存在になれればいいなという思いで発信を続けています。
投稿は、真面目だけど硬くなりすぎないように、表現を工夫しています。SNSを始めたばかりの頃は、周囲から明るい人間だと思ってもらいたい一方で、命に対する考え方については特に暗い投稿が多かったんです。あるとき、お世話になっている方に「楽しそうじゃないよね」と言われてハッとして、私の投稿を見た人が楽しく、明るい気持ちになれるように、より意識して投稿するようになりました。
ennを設立したのは、2022年2月。SNSで小百合さんと偶然出会ったことがきっかけです。SNSで私の投稿を見た小百合さんは、私が他の人と何か違うと感じたそうなのですが、お互いの事情をさらけ出したのは、仲が良くなってから。私が服を好きだということと、小百合さんはイラストを描くのが好きだということで、ennの立ち上げに至りました。ennのロゴは小百合さんに描いていただいたものです。
名前の由来となったのは、私が好きな4人組バンドsumikaの曲です。「縁」をテーマにした名前にすることは決めていましたが、sumikaの曲であるennが母子家庭で育ったメンバーのお母さんに向けた感謝の曲だと知って、私たちの取り組みにもぴったりだと思いました。
ennのロゴ
現在ennでは、小百合さんのイラストをデザインに用いた衣類をオンラインで販売したり、イラストをパッケージに使用したドリップバッグコーヒー、就労継続支援B型事業所の協力を得て作っているサブレ、イベントで出会った作家さんが制作したコースターをイベントなどで販売したりしています。サブレとコースターはennのモチーフのひとつであるひまわりを型取ったもの。花音への思いを込めて、小百合さんに描いていただいたイラストがもとになっています。デザインに使用するイラストは、小百合さんに描いてもらう以外、考えられません。ennを通して、花音の存在や小百合 さんの存在を多くの人に知ってもらいたいですね。
Artist hyuga × grado × enn 数式と音楽コラボTシャツ(通称 数式音T)
発達障害を持つArtist Hyugaの数式と、Artist Hyugaの数式にインスパイアされ音楽を生み出したgradoとのトリプルコラボTシャツ
(背面首元のQRコードから音楽視聴が可能)
どりっぷばっぐこーひー。小百合さん作イラストのタイトルとコーヒー豆生産国の言語をかけ合わせて商品名に
就労継続支援B型事業所の工房とんとんさんにオリジナルで作っていただいている米粉入りのひまわり型サブレ
身の周りの縁、すべてに感謝
これまではennのたくまとして取り組みを行ってきましたが、これからは、たくまが取り組んでいるennに切り替えていこうと思っています。自己表現に力を入れていきたいんです。具体的には、たくま個人としてのオンラインお話会や自分の心との向き合い方であるメンタルマネジメントの講師とのトークイベントの開催を始めています。人との縁、つながりを表現する時間がすごく楽しいので、今後もこうしたイベントを続けていきたいと考えています。
仕事ができることも、家族がそこにいてくれるのも、今私たちが置かれている環境は当たり前ではありません。当たり前だと思っていたことが、そうではなくなってしまった経験を得てそのことに気づき、身の周りの縁すべてに感謝するようになりました。みなさんにも、今の環境、日々のできごとは当たり前ではないと思いながら、幸せに過ごしていただけたらと思います。
- 1)小児慢性特定疾病情報センター:90. ゴーシェ(Gaucher)病.
[https://www.shouman.jp/disease/details/08_06_090/](2023年4月10日閲覧)
関連リンク
・ライソゾーム病
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