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[クリニックインタビュー] 2011/07/22[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第118回
天神城戸クリニック
城戸和明院長

整形外科医の父の背中に憧れて

 この「天神城戸クリニック」は整形外科医である父が開業した場所。私が医者を志すきっかけを与えてくれたのは、ほかでもないこの父の存在でした。
 父は開業前に福岡県糟屋郡にある「新光園」という肢体不自由児のための施設の院長として患者さんたちを診ていたのです。患者さんの年齢は私と同い年、またはお兄さん、お姉さんくらい。そんな方々の中にまじって、夏のキャンプなどのイベントに参加していました。その頃からでしょうか、父のように手足が不自由な患者さんの力になれる人間になりたいと思ったのは。医者の息子に生まれていなければ経験することのない世界。もちろん、野球選手やパイロットといった、子どもらしい夢を持ったこともありましたけどね。
 ではなぜ父と同じ整形外科医の道を歩まなかったのか―。私は5人兄弟の末っ子でして、2番目の兄が先に整形外科医を志したからです。「兄貴と比べられるのはいやだな」という気持ちも正直ありました。浪人生を経て、兄と同じ福岡大学の医学部に合格。外科に進みたいという気持ちから、卒業後は呼吸器外科と消化器外科を扱う福岡大学病院第2外科に入局しました。

外科医を支える専門科医の仕事も経験

 福岡大学病院第2外科で経験を積んだ後、愛媛県の松山赤十字病院へ配属になりました。呼吸器外科と消化器外科を扱う専門性の高い福岡大学第2外科に続いて、外科全般を診るため症例も多い松山赤十字病院で学んだことは大きかったと思います。他大学出身の友人もたくさんできました。
 そして福岡に戻り、浜の町病院の麻酔科、福岡大学病院の放射線科に勤務。なぜこの場所で外科に勤務しなかったかというと、外科医としての技術を磨くために、あえて関連する専門科医の仕事も経験したかったのです。麻酔科では術中管理の大変さ、放射線科では血管造影やエコー、CTを用いて患者さんの体をより立体的に診るという技術を学びました。
 しかし当時から「もっと深くがんの研究をやりたい」という想いもあり、福岡大学の大学院へ。がん遺伝子の勉強を通じて論文を発表し、医学博士を取得しました。そして福岡大学救命救急センターに赴任。消化器がんはそれまでも手術経験が豊富だった私ですが、外傷の治療もまた勉強になりました。
 それぞれの病院で学んだことを武器に、出身である福岡大学第2外科に助手として戻ったときには、新しい世代の研修医の指導に頭を悩ませたものです。自分が受けた指導法と同じでは、彼らには響かないということ。患者さんへの対応も、このときから少しずつ変わってきたのではないでしょうか。しかも大学病院勤務の医者は多忙で、研究のための時間がとれません。
 そこでかねてからの夢であったアメリカ留学を志望。今まで通せなかった自分の想いが叶った瞬間でしたね。2年間滞在する予定でしたが、泣く泣く1年で帰国し、福岡歯科大学の講師として歯科大学生に医学を教えることに。歯科が専攻の学生に医学を教えるのは、なかなか難しかったですね。

肛門科を一生の生業にするために

 長い大学病院での生活を経て、福岡高野病院の肛門科へ。肛門科治療の第一人者・高野先生のもとで、また多くを学ぶことができました。高野先生は患者さんに寄り添い、的確な治療ができる方です。「ここでならこれまで磨いてきた外科としての技術、麻酔科、放射線科の知識を存分に生かせる」と確信。
 しかし同年、かねてより肝臓が悪かった父が亡くなってしまいました。父の背中に憧れて医者になった私ですからショックは大きかったですね。整形外科である兄はすでに開業していたため、私が肛門科のクリニックとして父の跡を継ぐことに。これまで関わってきたがんの研究に未練がないといえば嘘になりますが、さまざまな経験を積んだ自分だからできる治療があるはずと新しい一歩を踏み出すことに決めました。

病院にも家庭にも必要な存在とは

 「天神城戸クリニック」を訪れる患者さんは1日平均15~20人。自分の患者さんは自分で診たいと思っているので医者は私ひとりです。
 肛門科に訪れる患者さんは「相談したいけど恥ずかしい」という気持ちが先にたってしまう傾向があります。例えば便通の調子やお尻の痛みの具合を尋ねても、本当のことは言いにくいですよね。その緊張をほぐすようにいくつかの質問を投げかけて、話をしやすい雰囲気をつくります。私が患者さんの立場になって考えたとき、時間をかけて真剣に向き合う医者であってほしいと思うから、このやり方を徹底しています。大学病院時代も担当する患者さんに、朝昼晩の最低でも1日3回会いに行っていたのですよ。自分が休みの日であっても、1回は病院に行っていたほどです。こうした積み重ねが信頼を築き、よりよい治療に繋がると信じています。
 今後の希望としては妻とともにクリニックを運営すること。以前、事務スタッフとして受付に立ってもらったことがあるのですが、患者さんからの評判がとても良かったのです。女性の患者さんが多いため、男性の私に比べて相談がしやすかったこともあると思うのですが、何より彼女は患者さんの視点に立つことができる人間。准看護師の資格も取得したので、あとはその時を待つだけですね。心待ちにしています。

5人兄弟の末っ子らしい一面も

 私の性格をひと言で表すなら、博多弁でいう「飽きやすの好きやす(熱しやすく冷めやすい)」。要するに多趣味ですね。ラジオなどの身近な機械を組み立てたり壊したり、ものづくりに大変興味がある子どもでした。
 また、5人兄弟の中の末っ子、しかもすぐ上の兄とは6つも歳が離れていたので、よくからかわれたものです。プロレス技をかけられたり、夜中に起こされて夜食を作らされたり。そのおかげで、医者になるための忍耐力がついた気もしますが。兄に影響され音楽を聴くことも多かったですね。お下がりでギターをもらったこともありました。楽器の演奏は今後時間ができたときのために始めたい趣味のひとつです。音楽以外には、読書やスポーツ観戦です。地元福岡の球団も応援しています。以前のように球場へ足を運ぶことは少なくなりましたが、それでも年に1・2回の球場観戦を楽しみにしています。

取材・文/有川由恵(ありかわ・よしえ)
ライター。「CREATIVE OFFICE とらこや」所属。福岡の情報誌を中心に、グルメ、医療、ウエディングの現場取材・原稿執筆を手がける。

天神城戸クリニック

医院ホームページ:http://kido-clinic.jp/

診療科目

肛門科、胃腸科

城戸和明(きど・かずあき)院長略歴
1986年  福岡大学医学部医学科卒業
1987年 松山赤十字病院外科勤務
1988年 浜の町病院麻酔科勤務
1993年 福岡大学病院救命救急センター勤務
1995年 MCP Hahnemann大学留学
1997年 福岡高野病院肛門科勤務、天神城戸クリニック 院長


■資格・所属学会
日本消化器外科認定医、直腸機能障害者福祉法指定医、日本外科学会認定医


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