[クリニックインタビュー] 2011/07/08[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第117回
響きの杜(もり)クリニック
西谷雅史院長

医療でひとが良い方向へ変わるお手伝いをしたい

 私は小さなころから医師になりたいと思っていました。野口英世の伝記を読んだり「赤ひげ」をテレビで観たりして、医療が人間の役に立つ仕事だと知ったからです。
 地球の長い歴史に比べれば、人類が誕生してからの期間は瞬きほどに短いもの。そんな中で生きた証しを残すならば、私の場合は身近なひとを医療で助けることにより、その方々の人生が良い方向へ変わるお手伝いをしたい。そのように考えて、医師を目指したのです。

スモン患者救済のために奔走した学生時代

 北海道大学の医学部に進学してからは「スモン研究会」に入って患者さんたちと一緒に活動をしました。スモン病は下半身にしびれ、痛み、まひが広がり、時には視力障害など全身に影響が及ぶ病気です。1955年ごろから症状がみられ、1967~68年に大量発症したのですが、当初は原因不明の奇病と言われて差別もされていました。
 実は、その原因がキノホルムという整腸剤による薬害であることが分かり、私たちは将来医師になる立場から、患者組織である「北海道スモンの会」の支援を行いました。原因不明のまひで寝たきりの患者さんがいるとの情報を得ては、本人のところへ会いに行き、キノホルムを処方した投薬証明をもらってスモン病の診断を受けられるようにしました。また、薬害被害者救済を含む薬事法の改正に向けて共に活動を始めました。札幌市内で被害者救済を求めるデモも行いましたし、患者さんと薬事法の改正を求めて当時の厚生省前で座り込みもしました。
 もしかしたら、大学に行くよりもこちらの方で過ごした時間が多かったかもしれません。しかし、患者さんと寝食を共にしながらこうした活動を行ったことは、私自身にも大きな影響を与えました。患者さんを医学の研究対象とみる医師もいる中で、私は徹底的に患者さん側の立場に沿った医療をしようとあらためて決意したのです。

脳出血で入院、そして理想のクリニックを開設

 卒業後は札幌、帯広、稚内など道内の病院を回った後に大学での臨床研究を終え、札幌厚生病院の産婦人科に15年間勤務しました。私が執刀を手掛けた婦人科手術は1,500件を超えます。また、外来では待ち時間が2時間を超えることも珍しくない状況で、朝から晩まで多くの患者さんを診て昼食を取ることもできないほどでした。
 7年前、私は脳出血を起こして入院しました。幸いリハビリを経て回復することができましたが、その時に実感したのは「生かされた!」ということ。自分には使命があり、まだするべきことが残っていることを実感しました。そして、私が描いていた理想の医療を実現すべく「響きの杜クリニック」の開設に至ったのです。
 響きの杜クリニックでは、病気を「こころ」と「からだ」の全体からとらえて治療をしています。さまざまなストレスによって心と体の調和が乱れると症状が出て、放置していると肉体に異常が現れます。この時に生活環境を正さず投薬で直すだけでは、また同じ症状をぶり返すか他の病気となって現れるものです。私は、患者さんの持つ「本来の治そうという力」を高めて、再発しない身体づくりをすることを目標としています。
 私はどんな患者さんにもじっくりと時間をかけ、誠心誠意のこころで対応をしていきたいと思っています。そのため、当院では予約制ですが1時間以上お待ちいただくこともよくあります。行列の出来るラーメンの人気店では長く待たされても文句を言う人はいません。それは、待ってさえいれば極上のラーメンを食べることができるからです。同じように、極上の医療を提供することで行列の出来るクリニックになれるよう、がんばっています。

大震災の災害医療チームとして被災地へ

 今回の東日本大震災では、私も非常に大きな衝撃を受けました。自分にできることは何かと考え、5月の連休を利用して私を含めた4名で「チーム響きの杜」を結成、日本医師会の災害医療チームとして岩手県の山田町で医療支援を行いました。
 避難所では、初めは遠慮がちにしていた被災者の方々も、訴えを聞く中で少しずつ心の不安や身体の痛みを話してくれるようになりました。津波で流されてきた隣家との間に挟まれ、そのお隣さんと手をつないで救助を待っていたものの、結局自分だけ助かったという方が「助けてもらった自分がこれからは周りに恩返しをしたい」と淡々と話す姿には言葉を失いました。
 そんな方々に「響きあう医療」ができたことは今回の収穫でした。本来、医療や病院のルーツは修道院の慈善事業にあります。それと同じボランティア活動が現地でできたこと、そして被災者の方たちに喜んでもらい、心を通わせる医療ができたことは何よりも私たちの喜びと満足につながりました。今後も、災害時には「チーム響きの杜」が出動する準備ができるよう、スタッフと話し合っています。

誕生から看取りまで扱えるセンターを

 私の目標は、出産から臨終までをトータルに扱う医療センターを開設することです。人間にとって生と死は切り離せません。自然で安全なお産のできる場所、そして痛みのコントロールと心のケアを施して明るい終末期を過ごせる場所もつくりたい。敷地内には畑もあって土に親しみ動物と触れ合うこともできる、そんな一種のコミュニティーを考えています。
 今のクリニックは、そんな構想の入口に当たります。今年で5年目になりますが、さらなる理想のためにもこのセンターはぜひとも実現したいと思っています。

取材・文/高橋明子(たかはし・あきこ)
東京の業界紙や編集プロダクション勤務を経て、札幌移住を機にフリー。各種雑誌やウェブサイトで地域情報や人物、住宅などの取材を行う。

響きの杜(もり)クリニック

医院ホームページ:http://www.hibikinomori.jp/

地下鉄東西線、円山公園駅6番出口からショッピングセンター「マルヤマクラス」を通って徒歩3分。詳しくは、医院ホームページから。

診療科目

産科、婦人科

西谷雅史(にしや・まさし)院長略歴
1956年 北海道大学医学部卒業
国立札幌病院(現北海道がんセンター)、帯広厚生病院、市立稚内病院、北海道対がん協会、北海道大学医学部付属病院産婦人科助手を経て
1991年 札幌厚生病院産婦人科
2002年 札幌厚生病院産婦人科主任部長
2006年 響きの杜クリニック開設


■資格・所属学会
日本産科婦人科学会、日本東洋医学学会など


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