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[クリニックインタビュー] 2012/02/03[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第130回
西谷皮膚科医院
西谷道子先生

「弱い者は助けなければ」と言い聞かせていた母


「仕事をしていない時も患者さんのことが気になりますね」と話す西谷院長。“友達のような”ご主人は産婦人科医で今は岩手に単身赴任中とか

 私は新潟生まれですが、子どものころは内務省の役人だった父親について各地を回っていました。太平洋戦争開戦の前後には中国の北京にいたこともあります。その後に住んだ岡山市では大きな空襲にも遭いました。花火みたいに焼夷弾が降って、家族で必死に裏山へ逃げて……長女の私が小学4年生で、末の妹はまだ赤ん坊でした。
 そのころはおとなしい性格だったと思うのですが、変わったのは中学生の時ですかね。女の先生に「あなたは女代議士になったら」と言われまして。ちょうど女性にも参政権が認められた時期でした。
 私は、女子をいじめる男子を見ると「やめて!」と追いかけるので“女親分”と怖れられていたんです(笑)。これは、日ごろから「弱者を助けなければいけない」と口癖にしていた母親の影響だと思います。身分の上下なく人と接し、北京では道端でむしろを敷いて座っていた親子にいつも食べ物を置いてくるような、優しい母でした。

医療に惹かれながら弟の身を案じ続けた日々


西谷皮膚科医院はビルの1階にある。同じフロアには小児科、眼科、整形外科、調剤薬局があり3階まで各科のクリニックが入っている

 私が医師という仕事を意識したのは、小学3年生のころ祖母に「あなたは女医さんになれば?」と言われたことですね。母方の祖母は昔、医師をしていた独身の伯母の元へ修業に出されたものの、あまりの辛さに途中であきらめて逃げ帰ったことを後悔していたようです。
 また、同じころ私は丹毒のため病院に入院して、腫れあがった痛い足がすっかり治ったことからも立派な“お医者様”に憧れました。それに、体が弱かった母はよく病院通いをしていたので、自分が病気の人を助けられたらと思ったこともあります。
 さらに、大きな影響があったのは弟のことでしょうか。彼は小学3年生の時、ある深刻な心臓の病気と診断され大学病院に入院して手術を受けました。心臓の手術としてはその病院では2例目で、最初の方は亡くなっています。幸い、弟の手術は成功ということでした。私はちょうど高校3年の受験生で、この経験からもやはり医師になろうと意志を固めました。しかし、これには後日談があります。
 父が小樽に単身赴任していたこともあって、私は北海道大学へ入学しました。しかし、卒業してインターンになった時に、あることから弟の心臓の病気は誤診だったことが分かったのです。試しに弟に聴診器を当ててみるとやはり雑音があることに気付き、自分の心臓も一瞬凍りつくのを覚えました。家族で知っているのは私一人だけ。夜も眠れないほどに悩み、涙を流すこともありました。弟のお見合いを機に思い切って母親にも話しましたが、彼女の驚きと悲しみは想像を絶するものでした。
 その後に再検査を受けたところ、弟は軽い心房中隔欠損症で日常生活にも支障がないことが分かりました。当時は今のような検査機器もなく、診断の難しさもあったと思います。とはいえ、先生を信頼し尊敬していた自分と家族がこのような苦しみを経験したことで、医師となる私は絶対にこのようなことを起こしてはいけないと強く決心しました。その信念は今もまったく変わらずにいます。

「どうせ女は辞めるだろう」に猛然と反論


子どものおしゃべりにも耳を傾けながら診察する。「楽しくて、こころがホカホカする先生」と女の子は話してくれた

 私が医学部に入ったのは、まだ新制大学になったばかりのころ。90名のうち10名が女子で、みんな希望に燃えていました。しかし、まだ男尊女卑の考えを持つ人もいましたね。あれは解剖実習でのこと。別グループの脇を通ったら、男子学生が「どうせ女は辞めて家に入るくせに、国の費用を使うのは無駄だ」なんて言っているのが聞こえたんですよ。そこにいた女子の反論に私も加わって「学問に男も女もない!絶対に辞めないからね!」と大きな議論になりました。もう、みんな意地でもやるぞ!と。ですから、同期では結婚や出産などの理由で医師を辞めた女性は1人もいません。
 インターン時代に結婚しまして、その後は北大病院、札幌鉄道病院、市立札幌病院と勤務医を続けてきました。このクリニックを開業したのは、ちょうどこのメディカルビルがオープンする際に、皮膚科の医師を探していると勤務先の医長から声をかけられたのがきっかけです。独立希望はそれほどあったわけでもないのですが、北大の産婦人科に勤務していた夫も快く賛成してくれました。

休みの時も患者さんのことを考えている


通院する子どもが描いた西谷院長の絵

 今の医院では前の病院時代からの患者さんもいますので、もう3、4世代と通ってこられるご家族もいますね。私も医師を50年ほど続けていますので、それなりに診断する目もできていると思っています。例えば、内科で処方された一般的な皮膚の薬では患者さんに合わないときもあります。また、血圧の高い方が飲んでいた降圧剤により日光過敏症を起こすケースなど、他科で処方された薬の副作用で皮膚症状が現れるケースも見られます。その場合は担当の先生に確認を取って、違う種類の薬剤に替えてもらったりもします。
 待合室はいつも混んでいますが、私は診察に時間をかけますし、どんな話でも聞くようにしています。以前勤めていた病院でも、私の診察を見学していた他の先生が「あの方は知り合い?」と聞いてきたことがありました。「いや、初診の患者さんですよ」と答えたらビックリしていましたね。昔から私は話しやすい性分なのかもしれません。
 昼休みもあまり取れませんし、診療後には刺し爪や巻き爪、ひどいニキビなど、時間のかかる患者さんの処置を行うときもあります。私の処置は痛くないとよく言われますが、それは時間をゆっくりとかけて丁寧にやるから。だって、自分自身が痛いことはイヤなんですよ。
 医院に誰かがいる時には、診療時間外にかかってくる電話も受けています。相談の内容によってはスタッフが私につないでくれますし、私の家に電話を回してもらうときもあります。特に面倒だと思ったことはありませんね。根が心配性なもので、仕事をしていない時でも“あの患者さんはどうだろう”と気になってしまうんです。昔は趣味で夫とゴルフもしましたが、今では患者さんのフォローが趣味のようなものです。

良いスタッフに囲まれているありがたさ


若いころはニキビで悩んだこともあったという。
また、自身が患者の家族として受けた負の経験が「常に自分の身として考える」という診療姿勢に結びついている

 うちのスタッフは最高ですよ!私も患者として他科に行くこともありますが、ありきたりの対応や表情の人が多いように感じます。こちらでは、例えば急いでいる患者さんには理由を聞いて臨機応変に対応しますし、私との連携もしっかりとできています。それに、みんな表情がニコニコしているんですよね。事務が3名、看護師が2名いますが、出産してもこちらに戻ってきてくれます。
 私は55歳のときに胃がん、そして3年前には腸閉そくで手術を受けました。だから、忙しくてもきちんと食事を取るように心掛けています。特に野菜や果物は多めにします。夕飯は、末の娘が作って運んできてくれるんですよ。
 自分もそろそろ歳だから――と思わなくはないですが、看護師さんたちが「百歳までやってね」と(笑)。「先生は動かなくていいから、車いすで診療してください」って言うんですよ。患者さんからも「先生、長生きしてね」とか「私が死ぬまで死なないで」なんて、ありがたいです。診療が終わった患者さんからも「先生、お大事に」と冗談交じりで言われたり。私がこんな性格だから気さくに接してくれるんでしょうね。本当に、この医院にいることで私が元気をもらっているようなものです。

取材・文/高橋明子(たかはし・あきこ)
東京の業界紙や編集プロダクション勤務を経て、札幌移住を機にフリー。各種雑誌や書籍、ウェブサイトで地域情報や人物、住宅などの取材を行う。

医療法人社団 西谷皮膚科医院

医院ホームページ:http://www11.ocn.ne.jp/~medical/hifu.htm

地下鉄東豊線「東区役所前」4番出口から1分、メディカルセンター光星1階。駐車場完備。
詳しくは、医院ホームページから。

診療科目

皮膚科

西谷道子(にしや・みちこ)院長略歴
1959年 北海道大学医学部卒業
1960年 札幌鉄道病院(現JR札幌病院)インターン修了
同年 北海道大学医学部(皮膚科学教室)助手
1965年 札幌鉄道病院皮膚科医長
1973年 札幌市立病院嘱託医
1974年 西谷皮膚科医院開設


■所属学会
日本皮膚科学会、日本臨床皮膚科医会


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