[クリニックインタビュー] 2013/07/26[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第152回
山一ビル内科クリニック
有野亨院長

幼なじみの親友2人のすすめで医学部へ

 私が医学部を目指そうと決めたのは、高校卒業後、浪人していた夏でした。もともとは、人を教える仕事がしたいと教師を目指していたのですが、幼なじみの親友2人に「一緒に勉強して医学部に入ろう」と誘われ、医学部を目指すことに。3人とも別々の大学に入りましたが、皆、ちゃんと医者になって、今も一番親しい友人としてつきあいが続いています。
 彼らは2人とも医者の息子で、幼いころから医師を目指して教育を受けてきたのですが、私はまったくそうではなく、友人のすすめだけで入ってしまったようなもの。正直な話、入学当初はつまらなくて、どうしてこんなところに来てしまったのだろうと思いましたね(笑)。当時はバブルの少し前で、大学も華やかだった時代。でも医学部はまったく浮かれた感じがなく、一般の大学に通っていた弟の話を聞いては羨ましく思っていました。
 一般教養課程を過ぎ、3年になって解剖学や薬理学などの基礎医学を学ぶようになっても、まだあまり面白いと思えませんでした。5年生になり臨床実習が始まって、やっと「自分が医学部に来たのはこのためだったんだな」と感じることができ、大学の授業が面白くなりました。でも本当に医師として今の礎を築くことができたのは、卒業してからの研修医時代でしたね。

「人」をみて、迅速に診断をつけるのが内科の魅力

 卒業したころ、私はいろいろな科に興味があり、まだ専門を決められなかったので、ローテーションでいくつもの科を回る研修制度のある国立西埼玉中央病院に入れてもらいました。大学時代はあまり真面目に勉強しなかったのですが(笑)、大学を離れて地方の臨床現場を見てからは、学生時代の友人がビックリするぐらい180度考えが変わりました。それは、今でも最も尊敬している循環器の先生との出会いのおかげです。
 とにかく一生懸命な先生で、「わからなかったら何時でも呼んでいいよ」と言うので、本当に夜中の2時、3時に電話してみてもすぐ来てくれて、わからないことを全部教えて下さいました。そんな先生のもとで教育を受けた2年半の間、わずか2日しか休みをいただけませんでした。1日は祖母が亡くなったとき、もう1日はその一周忌でした。あとは正月もゴールデンウイークも休まず、ずっと病院に泊まり込みで研修しましたが、そのおかげで臨床のいろはを学ぶことができたのです。
 研修の後半は外科にいましたが、患者さんの術後のケアをするなかで、もう少し内科の勉強をしたほうがいいと感じ、総合内科のある卒業した大学の慈恵医大青戸病院内科に入れてもらいました。そこで内科の面白さに目覚め、内科医になることを決めました。
 内科のいちばんの魅力は、診断の難しい病気に正解を出すこと。また、そのために患者さんと向き合って、たくさん会話ができることも魅力です。私の出身大学では、「病気を診ずして病人を診よ」と教えられたので、とにかく患者さんと話をして、「人」をみて、考え方や生活環境などの背景を理解した上で病気を診断し、治療をする大切さをたたき込まれました。
 ある先輩医師から「優秀な内科医でも、優秀じゃない内科医でも、最終的に診断はつく。違いは、いかに早く正確な診断ができるか。診断までの過程が短い人こそ優秀な内科医だ」という話を聞き、診断能力を上げるためには、とにかく臨床の場で多くの経験を積むことが大切だと思いました。専門は循環器内科でしたが、総合内科にいたので白血病や肝硬変、胃がんなどさまざまな患者さんを診ましたし、出張先では小児科の診療にもあたりました。研修先でも大学病院でも先生に恵まれ、厳しい環境の中で多くのことを学べたからこそ今の自分があると、本当に感謝しています。

「最新」と「最良」の在り方

 大学病院は「最新の医療」を提供するところ、開業医は「最良の医療」を提供するところだと思っています。最良の医療というと、昔は医師の「長年の経験に基づいた治療をすること」だったと思うのですが、今はエビデンスが確立されている治療法が多くあるので、まずは最もスタンダードな診断と治療を提供することを心がけています。いちばん標準的な治療をして、そこでちょっと違うと感じた部分は、医師としての25年の経験で修正する。そういう診断と治療を提供することが私自身の「最良の医療」であり、それができているからこそ患者さんが来てくれているのだと考えています。
 今、多いときで1日に250人ぐらいの患者さんが来院されますが、朝、最初の患者さんと接するときと、夜、最後の患者さんと接するときのテンションは必ず一緒にすると決めています。当然のことですが、私にとっては250人目だったとしても、患者さんにとっては常に1対1。1人目も250人目も同じ、常に朝一番で向き合う患者さんと同じ気持ちでいるよう、「自分が患者の立場だったら」と考えるよう、それはクリニックのスタッフにも話しています。
 診察室に入ってくるとき、なかにはちょっと曇った表情をされている患者さんもいますが、今のところ、出て行く患者さんの表情を見る限りは、なんとか満足してお帰りいただいているかなと思っています。
 人と話すことは好きですし、今のところ体力的にきついと思うことはありませんが、本当に忙しい日などは頭の回転がついていかなくなりそうな時はありますね。医師として判断ミスはあってはならないことですから、それだけは絶対にしないように集中力をキープしています。不思議なもので、診察室に入って聴診器を首からかけると気持ちが変わるのです。仕事モードになるというか、医師としてのスイッチが入るのでしょうね。

医師になった時「30年は休まず仕事をする」と決意

 幸いなことに、私はどんなに疲れたり、いやなことがあったりしても、基本的に寝ると次の日には元気になっていますね。ですので、健康の秘訣はきちんと睡眠をとること。でも、ショートスリーパーなので、毎日深夜1時半に寝て朝は6時に起きるよう、睡眠時間は4時間半と決めています。それより長くても短くてもダメなんですよ。そのリズムを崩さないよう1年中同じ生活をしています。
 25歳で医師になった時に、「30年はフルに仕事をしよう」と決めました。30年、とにかくできることを全てやって、その後は、自分のしたい医療をしようと決めたのです。ですから、私は1年でお盆の5日しか休みません。クリニックは日曜や正月などは休みですが、そういう日は別の場所で仕事をします。丸1日休んでしまうと生活のリズムが狂ってしまうので、仕事を探すことが趣味のようになっています。
 今、52歳なので、「30年」まではあと3年。その後、どうするかはまだ見えていませんが、おそらくクリニックで同じように仕事をしているんじゃないかな、なんて最近は思っています。開業して12年になりますが、ドクターもナースも、スタッフも、僕の思い描く理想的な働きをしてくれているので、今、とても楽しく仕事をさせてもらっています。
 私たちの業界は「待ち」の仕事。呼び込みはできないので、いくら自分が仕事をしたいと思っても、患者さんが来なければ仕事はできません。今の私にとっては、患者さんと向き合って話をしている時間が、最も医者冥利に尽きるとき。これからも、患者さんが来てくれる限り、このクリニックで自分にできることをすべてしていきたいと考えています。

取材・文/出村真理子(Demura Mariko)
フリーライター。主に医療・健康、妊娠・出産、育児・教育関連の雑誌、書籍、ウェブサイト等において取材、記事作成をおこなっている。ほかに、住宅・リフォーム、ビジネス関連の取材・執筆も。

山一ビル内科クリニック

医院ホームページ:http://www.myclinic.ne.jp/yamaichi/pc/

東武スカイツリーライン西新井駅東口より徒歩3分。待合室は内科と小児科のスペースが分かれていて、どちらの患者さんも気がねなく安心して過ごせます。
詳しくは、医院ホームページから。

診療科目

内科一般、循環器内科、呼吸器内科、糖尿病内科、小児科、皮膚科

有野 亨(ありの・とおる)院長略歴
1987年 東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業 国立西埼玉中央病院にて研修
1989年 東京慈恵会医科大学附属青戸病院
1996年 米国Geisinger clinic
1998年 東京慈恵会医科大学附属青戸病院
2001年 山一ビル内科クリニック開設


■所属・資格他
医学博士、日本内科学会認定内科医、日本内科学会認定総合内科専門医、日本循環器学会認定循環器専門医、日本東洋医学会認定漢方専門医、日本医師会認定産業医、日本医師会認定健康スポーツ医、身体障害者福祉法指定医(心臓機能障害)、日本内科学会、日本循環器学会、日本心臓病学会、日本高血圧学会、日本東洋医学会、足立区医師会理事


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