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[クリニックインタビュー] 2009/09/25[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第35回
岩瀬クリニック
岩瀬和泉院長

知ってるふりと思い込みに背を向けて

iwase01.jpg 私が診察のときに心がけているのは、患者さんの目を見て医師に何を望んでいるかを読み取ること。処方箋だけ手に入れてすぐに帰りたいのか、いろいろな検査や詳しい説明を求めているのか、患者さんによって異なりますから。それから丁寧に診察することですね。特に腹部を触診するには服、靴を脱いで横になってもらうので、患者さんにとっても手間がかかります。症状によっては「省略しても良いかな?」と思うこともありますが、できる限り行うようにしています。以前、男性乳がんを見落としてしまって、深く反省した経験もあるので、女性のみならず男性の胸も出来るだけ触診するようにしています。血圧を測るときや、聴診器を当てるときなども、常に患者さんの体温や感触を確かめながら診察しています。
 最近の患者さんはインターネットなどで知識を得ていますから、自分の病気に関してはとても詳しい。医者がそれに勝てるくらい、あらゆる範囲の知識を蓄えておくというのは、私は無理だと思っています。そこで患者さんには、大変な病気なのかどうかをまず伝えて、詳しいことはその場で本を開いて丁寧に調べ、時には一緒にパソコンの画面を見ながら二人で勉強しています。よく我々は「患者さんは最高の教師」と言います。
 本当にいろいろなことを教えられます。診察中が私の勉強時間。患者さんの前で知っているふりや、思い込みでの診断は絶対にしない、というのが信条です。

手術にあけくれた大学病院時代

iwase02.jpg 私はもともと内科医志望で、外科に興味を持ったのは大学に入ってからです。内科では手に負えない病気を手術で治すことができる、というところに惹かれました。でも私は左利きなので、かなり悩みました。外科の手術は、すべてのスタッフの立ち位置や、メスなどの器具を手渡す方向が決まっているので、どうしても右手を使わなくてはいけないんです。結局、卒業の直前に外科に進むことを決意しました。
 大学院で病理学を学んだ後、肝臓外科に興味を持った私は、教授の許可を得て国内留学という形で国立がんセンターの研修医になりました。国立がんセンターには当時、幕内雅敏先生という高名な外科医がおられたのです。日本の肝臓移植の“あけぼの”のような先生です。1970年代くらいまでは「肝臓と膵臓には手を出すな」というのが外科医の常識でした。肝臓は血管の集合体のような臓器ですから、切除面からの血が止まらず、胆汁がもれて炎症を起こし、術後に患者さんが亡くなってしまうことが稀ではなかった。肝臓外科の著しい進歩はこの30年くらいです。肝臓の手術において肝切除面からの出血を避ける為、術中超音波で肝内の血管走行を把握し、丁寧に血管を結紮しながら肝切除をするという方法を開発したのが幕内先生なのです。そのため、全国から私も含め多くの外科医が学びに集まって来ていましたし、手術を求める患者さんも入院は2ヶ月待ち。肝臓外科ではまさに最先端の病院でした。
 国立がんセンターへ1年ほど短期留学したほかは、大学病院に籍を置いての勤務医を1978年から1996年まで18年間続けました。ただ、1990年くらいから漠然と「いつまでこの生活を続けられるだろうか?」という思いはありました。大学病院の勤務医には研究、教育、診療という3つの義務が常に課せられており、更に一月に8回くらいの当直をこなさなければいけないという現実があります。それゆえ、大学を辞することも少しは考えていました。

開業医の醍醐味とは

iwase04.jpg 弊院を開設したのは1996年です。大学病院を去る直接原因は、私が勤務していた日本医科大学第一病院を大学当局が売却することを決定したこと、尊敬している医局の庄司佑教授の退職でした。個人で開業するとなると、大きな手術は出来なくなりますから44歳の外科医としては悩みました。しかし未練を残して辞めるくらいのほうが、第二の人生が雑にならないんじゃないかと考えて、少し早めにメスを置くことにしました。恐らく40代くらいの医師はみんな悩んでいますよ。

超音波検査の機械をはじめ、内視鏡やレントゲンの機械もできる限り最新の設備を導入している。いずれは大学病院にも負けないくらいにしたいという。超音波検査の機械をはじめ、内視鏡やレントゲンの機械もできる限り最新の設備を導入している。いずれは大学病院にも負けないくらいにしたいという。

 このクリニックでの診療科目は内科、呼吸器科、循環器科、消化器科、アレルギー科、整形外科など多岐にわたりますが、医師は私ひとりです。大学病院時代に外科医として、いろいろな病院に派遣されていたのですが、なかには呼吸器科も皮膚科も分かれていないような病院がたくさんありました。そうするとぜんぶ外科医が診ることになります。それに私の医局は心臓、消化器、呼吸器、すべての手術を掌握しなくてはならないという庄司教授の厳しい指導がありました。ですから私も一通りの経験を積んでおります。それから幕内先生のもとで超音波診断の技量も身につけました。超音波ひとつあれば肺と脳以外、概ねすべての臓器を診ることができます。そして超音波の診断にあたっては、解剖をどれだけ熟知しているかということが重要なので、これまでの手術の経験がすべて役立っているわけです。
 大学病院にくる患者さんのほとんどは、ある程度の診断がついているので、その異常を更に詳細に診断・治療すること大学医師の仕事です。逆にたいしたことがない症状だと思っても、何かが潜んでいるかもしれない。それを見つけ出すのが、私たち開業医の責務でもあり楽しさでもあります。たまに「今後はそちらで診てください」と、大学病院から診断のはっきり分かっている患者さんを紹介されることがありますが、そういうときは、ただ薬を出すだけで診断能力が発揮できないので、私としてはあまり面白くない(笑)。

父から学んだ道を子供へと

iwase06.jpg 私が医師になりたいと思いはじめたのは、3歳くらいの頃。父は大学病院の内科勤務医で、日曜日や夜は自宅で診療していました。その様子に興味をもって、よく覗き見していました。子供心にも、人に感謝される仕事はやりがいがあるだろうなぁと思いましたね。父は忙しく仕事ばかりしていましたが、子供の教育には厳しい人でした。そんな怖い父でしたから子供の頃は大の苦手でした。父は私が35歳の時に亡くなりましたが、今は亡き父を日々尊敬して止みません。2人の姉のうち1人は小児科の医師ですから、やはり家族のなかで父の存在は大きかったのだと思います。私はその頃から今日まで、医師以外の職業に就きたいと思ったことはありません。天職だと思っています。
 長男は今年医大を卒業して、大学で研修医をしています。以前は私が医師になることを勧めても、長く反発していましたが、高校一年の秋、突然医師を志望し、その後は本当によく勉強してくれました。長女も医大に通っています。子供が医師になってくれたのは嬉しいですが、実は私自身が他の仕事を考えたことがなかったためで、医師以外の仕事の良さを知りません。それゆえ子供にも他の仕事を勧める自信がなかったというのが本当のところです。まぁ、専門馬鹿です(笑)。ですから子供たちにはだいぶしつこく啓蒙しました。ほとんどの人は大学に入ってから将来の職業を考えますが、医学部だけは高校時代に決めないとならなくて、しかも高三では遅いですからね。私が後押ししないで、15、16歳の子供に将来の決断を任せてしまったら、自分が後悔すると思ったのです。今は10年後くらいに長男又は長女がクリニックを継いでくれることを楽しみにしています。
 趣味はスポーツです。中学から始めた軟式テニスを今でもやっています。クリニックの近くの竹早テニスクラブに入って、週に3、4回、休日はもちろん、平日も出勤前の朝の6時から8時くらいに通っています。たまには文京区の大会にも出場します。突撃系なので、本気になりすぎて仕事がおろそかにならないように、セーブしていますけどね(笑)。ゴルフはけっこう上手で、JGAハンディキャップ6です。だから運動不足ということはないのですが、お酒が好きなので血圧と中性脂肪の薬を飲んでいます。健康管理は真面目にやっています。自分自身が自分の主治医ですからね。

取材・文/松本春子(まつもと はるこ)
編集者として10年間出版社に勤務した後、独立。フリーライター・フォトグラファーとして、心身の健康をテーマに活動中。理想的なライフスタイルの追究をテーマに執筆を手がけている。

岩瀬クリニック

医院ホームページ:http://www.hospita.jp/890/
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最近改装したばかりの受付はシンプルかつ機能的。右端の色紙は高校時代の同級生で、作家の浅田次郎氏のもの。
地下鉄丸の内線、茗荷谷駅徒歩0分。詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目

内科・胃腸科・循環器科・外科・整形外科・皮膚科・アレルギー科

岩瀬和泉(いわせ・いずみ)院長略歴

岩瀬和泉院長

1951年8月26日生まれ
1978年日本医科大学卒業
1984年日本医科大学第二外科大学院卒業
以降、日本医科大学第二外科国立がんセンター埼玉県立がんセンター等を経て
1996年1月に岩瀬クリニック開設
2006年8月健永いずみ会 理事長

■所属学会他
日本内科学会、日本消化器内視鏡学会、日本アレルギー学会、日本外科学会、日本消化器外科学会、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会認定医、日本医師会認定産業医、日本医科大学第二外科研究員



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