[特発性正常圧水頭症(iNPH)とは] 2010/10/08[金]

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 ここ1、2年、よく転ぶし、物忘れもひどいし、トイレも近くてよく失敗するということで、家族に連れられてきたAさん(78歳・男性)。よく聞いていくと、4、5年前から、歩くスピードが遅くなり、不安定で歩き方がおかしくなっていたそう。何年も前から症状があった訳です。方向転換がうまくできなくて、歩いていても前につんのめって転んでしまうので、危なくて杖も使えない状態でした。それまで熱心に読んでいた新聞も読まなくなったし、テレビを見ていても無表情、失禁の回数も多くなったので、家族が困って相談に来たというわけです。
 周りの人たちは、歳のせいで足腰が弱ってきたと思い込んでいましたが、念のため、MRIを撮ってみることに。その結果、脳室の拡大が見られたので、iNPHの疑いがあると判断しました。

特発性正常圧水頭症の画像的特徴(MRI)

特発性正常圧水頭症の画像的特徴(MRI)
・脳室の拡大
・高位円蓋部の脳溝の消失
・シルビウス裂の開大
特発性正常圧水頭症診療ガイドライン2004より

 脳室が大きくなると、海馬が委縮しているように見えて、アルツハイマー型認知症と判断してしまうケースもあるので注意しなくてはなりません。海馬だけに注目していると、iNPHを見逃してしまいます。MRIの冠状断で診ることによってiNPHの画像的特徴をとらえやすくなるでしょう。
 Aさんには、直ちに髄液タップテストを行うことにしました。腰椎くも膜下腔から髄液を抜いてみて、症状が良くなるかどうかをみるテストです。脳外科の医師にとって、脳脊髄液を排除することは難しいことではないのですが、患者さんにとっては不安かもしれません。背中を丸くしていれば痛くもありません。腰椎タップテストは外来でもできますが、高齢者の場合には、2、3日入院して歩き方などの変化を確認するようにしています。
 髄液を抜いている時間は、15~20分。Aさんはその直後から劇的に改善し、それまで自力ではうまく歩けなかったのに、スイスイ歩けるようになりました。無表情でぼんやりしていた表情も明るくなって、明らかに変化が見られました。これは髄液が過剰に溜まって症状をだしていたという証拠となりますから、iNPHと診断。

治療直後の経過
身の回りのことはできるようになった

 その後、Aさんは、腰の部分にシャントチューブを埋め込んで、溜まりすぎていた髄液を腰椎くも膜下腔から腹腔へ導く手術を行いました(L-Pシャント術)。
 手術後3日目からは病院の廊下を一人で歩けるように。最初は恐る恐るした歩き方でしたが、すぐに慣れて、杖を使わないでもどんどん歩けるようになりました。リハビリも含めて、2週間で退院。
 今では、自分の身の回りのことは大体できるようになったそうです。新聞も隅から隅までじっくり読んでいると、家族が話してくれました。何よりも嬉しいのは、おむつを使わずに済むようになったことだとも。歳のせいではなかったのですね。
 退院後、3回ほど、髄液が流れ過ぎていないかどうか、CTの画像チェックなどを行いましたが、その後は特別な変化さえなければ1年に1度の通院で大丈夫。ごく普通の日常生活を送ることができます。ただし、手術した部分を強くぶつけたりしないような注意は必要です。少しでもいつもと違う変化を感じたら、すぐに連絡する約束だけはしてあります。

ドクターからのメッセージ
診断のチャンスを見落とさない、見逃さない

東京共済病院 院長 桑名 信匡先生 iNPHの症状や診断、治療法などを理解しているドクターは、残念ながらまだ多いとは言えません。神経内科医や脳外科医などの専門医には、iNPHの診療が広がってきましたが、整形外科やかかりつけ医がこの病気のことをよく知っているかと言うとまだまだ…。パーキンソン病やアルツハイマー型認知症と診断されている人の中には、相当数のiNPHの患者さんが見逃されている可能性があると思われます。
 専門医にとって難しいのは、どうすれば見落とさないかということ。症状と経過からみるとiNPHに違いないのだが、MRIやCTの画像が典型的でないとか、画像も典型的で症状もその通り、でもタップテストの結果がいまいちだと、手術をするかどうか悩みます。経過観察をしながら時期を置いてもう一度検査をしたり、家族から十分に話を聞きながら、見落とさないよう気を遣います。必要のない人に、シャント術を行うことはないけれど、必要な人には正しく診断を付けてあげたいと思うのです。
 歩くスピードが遅くなった、転びやすくなったなどの変化がみられ、その症状が進行するようであれば、早いうちに医師に相談をしてください。歩行困難、足腰が弱くなるのは、歳のせいだとは限りません。
 もう既に介護生活に入っているから、いまさら手術をしなくてもいいのでは・・・というのも間違いです。施設に入所している要介護の高齢者の中にも、iNPHの患者さんが相当数見逃されているのではないかと思っています。もしiNPHだったら、シャント術を受けることで、家族やヘルパーさん、施設の介護士の仕事がずいぶん楽になると思います。そして本人のためにも、意味のある老後生活を送ることが可能だということを知っておいてもらいたいのです。
 何年も前からこんな状態だから、手術しても意味がない、ということもありません。iNPHは、髄液の流れを調整してあげれば改善の程度はまちまちですがいつからでも改善します。他の合併疾患の程度も考慮しなければなりませんが、決して手遅れということはありません。あきらめないことがポイントでしょう。思い立った時がチャンス。歳のせいとか、仕方がないと言わないで、一度調べてみる価値はあると思います。
 iNPHは、2004年に診療ガイドラインが発行されて以来、診断技術と治療技術が格段に進歩し、神経内科医や脳外科医の専門医を中心に浸透してきました。今後は、近所の内科医、整形外科医などのドクターそして高齢者に接する多くの一般の方々にも広く知って頂きたいと思っています。

東京共済病院院長 桑名信匡先生

1969年に東京医科歯科大学医学部を卒業。腰椎―腹腔(L-P)シャント術を世界に先駆けて考案した。横浜市立大学医学部脳神経外科学教室助手、横浜南共済病院脳神経外科部長、横須賀北部共済病院院長を経て現職。
脳神経外科学会専門医、脳卒中学会専門医

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