第61話 ホスピス病棟スタッフの皆さん、ありがとうございました。
[マンガで読む病院イイ話] 2011/04/22[金]

■ お寄せ頂いた口コミ
先日、4月15日にホスピス病棟の一室で、父とお別れをいたしました。
ほとんど苦しむこともなく、息をひきとる瞬間は、まるで眠るかのような、窓から見えるたくさんの桜の木の花の、そのひとひらが音もなく散るかのような、静かで平穏な最後でした。
別の病院から、ホスピスへの転院を勧められ、自宅からも比較的近く良い評判を耳にしていた、淀川キリスト教病院のホスピスに決めました。
私の中でホスピスといえば「医者の手におえず、死を待つばかりの人がゆくところ」という、イメージしか持っていませんでした。
しかし、実際は思っていたものとは、まったく違うものでした。
死を直前にした人が集まる場所は、辛さと悲しみに包まれているはずなのに、そこにはとても平和で、和やかな雰囲気が漂っていました。
それは「待合いにお花がたくさんあるから」「窓からの見晴らしが良いから」という理由だけではなく、ホスピスに関わるスタッフの皆さんの、全てにおいて心のこもった、その姿勢にあるのだと、身をもって感じました。
お医者さまはもちろん、特にナースの方々の、ゆきとどいた手厚い看護、優しさにあふれた言葉づかい、全てに感動し、そばにいる家族まで心を癒されました。
症状緩和のための、モルヒネなどの投与で、眠ったままで意志の疎通などできない父に対して「○○さん、失礼しますね」と話しかけながら、優しく、ゆっくりと時間をかけて、体のすみずみの状態を、注意深く看てくれるその姿勢は、父のみに向けた心遣いではなく、そばにいる私たち家族への思いやりでもあると感じました。
おかげで、看病疲れで心も体もクタクタな私たち家族も、大いに救われ、やがて「父の死を受け入れる心構え」が持てるようになりました。
このホスピスでは「死」のことを「お別れ」と言います。
「お別れのときは近いと思われます」など、言葉使いの端々に、優しさがあふれています。
そういう言葉使いを聞いてるうちに、いつのまにか、父は悲しい死を遂げるのではなく、旅立ちのお別れのような気持ちになっていきました。
父の呼吸する音が弱くなり、とうとう呼吸が止まりました。
しばらくして、心臓も止まったとき、私は、号泣しながら「お疲れさまでした、ありがとう!」と言いました。
泣いてはいましたが、悲痛な思いはなく、むしろ平穏でした。
それは私だけでなく、家族全員に共通する感覚でした。
このホスピスに関わる、スタッフのみなさんが、父から苦しみを取り除いただけでなく、私たち家族の苦しみまで取り除き「お別れの準備」をさせてくれたからです。
ホスピスというのは、そういう素晴らしい場所なのだと感じました。
いや、全てのホスピスが、同じはずはありません。
淀川キリスト教病院のホスピスが、素晴らしい場所なのです。
同じホスピス病棟の、別室のご家族とお話する機会があったのですが、その方はお母様とのお別れを直前にされていたのですが、私と同様、心穏やかにしておられ、さらに「私が死ぬときも、ここで死にたい」と、おっしゃってました。
思わず「僕もそう思います!」と私は言いました。
昨日、桜が咲くお寺で、父の葬儀を終えました。
みんなが涙しましたが、みんなが心おだやかでした。
こんな気持ちで父を見送ることができたのは、ホスピスのスタッフのみなさんのおかげだと断言できます。
心から感謝しております。
ありがとうございました。
あなたがたのお仕事は、すばらしいお仕事ですね。
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