会員限定この記事を読むと10pt 進呈!!

新規会員登録(無料) ログイン

[クリニックインタビュー] 2010/03/19[金]

いいね!つぶやく はてなブックマーク

大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第59回
山口眼科クリニック
山口伸幸先生

遅いスタートで知った「世間の目」

yamaguti01.jpg 僕の経歴は、医者としては少し変わっているかもしれません。大学は医学部ではなく経済学部を卒業し、そのまま一般企業へ就職。就職先は、本当はマスコミ関係の会社を希望していたのですが、試験で落ちてしまって。結局、電気メーカーに勤務することになりました。
 しかし仕事をしていくうちに、だんだんその仕事が自分に向いていないような気がしてきたんです。会社は周囲と協調して何でもこなすゼネラリストが求められますが、僕は一人でコツコツとやるタイプ。もっと専門的な仕事をしたい、スペシャリストになりたいという気持ちがどんどん募っていきました。そして2年半後、会社を辞めて医者になる道を選んだのです。こういうと崇高な動機による決断と思われるかもしれませんが、実際は普通の若者が就職して悩み迷い考えたすえに、なんとなくこうなってしまったのです。
 医者という職業には、子供のころから漠然とあこがれがありました。でも、僕の家はごく一般的な家庭で、家族や親戚に医者がいるどころか、両親は大学にも行っていない。環境も整っていないうえに、すでに社会人として2年半も過ぎているわけですから、今思えば医者を目指すなんてまったく「若気の至り」でしたね(笑)。
 医学部に合格したのは、26歳のときでした。高校卒業後、18歳で医学部に入る人に比べると、8年も遅れたスタートです。でもやりたいことをやっているから、引け目を感じたりはしなかった。家がそれほど裕福ではなかったので、入学後も家庭教師や塾講師などのアルバイトをしましたが、大変とも思いませんでした。子供たちに教えるのは、けっこう楽しかったし。今思えばお金はありませんでしたが、楽しく充実していましたね。
 でも、周囲の反応はさまざま。「今さら医者を目指すなんて」と、面と向かってバカにされることも多々ありました。大学時代の友達とは仲が良く、彼らはいい会社に入って仕事もアフター5も充実させ、僕を合コンに呼んでくれることもありました。でもそこで相手側の女性から「山口君は、実のなっていないリンゴの木ね」と言われたことがあって。結婚相手として、話にならないという意味らしいんですね。なにせエリート社員のなかに貧乏学生が一人いるんですから(笑)。男友達は「山口は会社やめて医者になろうとしているんだ、すごいんだぜ」と評価してくれるけど、女性たちはそう見なかった。悔しい気持ちもありましたが、「世の中は、そういうふうに考えるものなんだ」と知り、面白いと思いました。

尊敬する先生方から、医者としてのあり方を学んだ

yamaguti02.jpg 今は眼科一般を専門とし、結膜炎から、近視、コンタクト、緑内障、白内障の手術まで行っています。僕が眼科を選んだ理由は、スペシャリストになりたかったから。外科的な医療に興味があったのですが、外科そのものは基本的にチーム医療です。外科的でありながら自分一人でも手術ができ、かつ興味がある分野となると、眼科か耳鼻科。僕は目が悪かったので、より患者さんの気持ちがわかるかなと思い、眼科にしたわけです。
 学んでいくなかで特に面白いと思ったのは、顕微鏡をのぞきながら行うマイクロ手術。自分の世界に入り込んで行う手術は、面白く奥深くかつ怖いです。どんな手術でも何が起こるかわからず、予想外のことに対処する技術と精神力が要求され、人事を尽くして天命を待つ心境になることもしばしばあります。笑われてしまうかもしれませんが、手術がある日の朝は必ず近所の氏神様にお参りして、手術の安全を祈っています。
 しかし眼科の診察で大事なことは、病状を形態学的に的確に見られるかどうか。例えば病状を顕微鏡で見て、「赤く腫れているからこの病気だな」という判断をすることです。今は機械が発達しているので、ある程度は画像やデータで判断することもできます。でも一番重要なのは、実際に見て病名をつかむこと。これには、経験が物を言います。
 そしてもっと大事なのは、根底にある患者さんへの思いです。僕は今までいろいろな先生にお世話になりましたが、特に感銘を受けたのは千葉県こども病院眼科の黒田紀子先生、礒辺真理子先生です。お二人とも患者さんに対する姿勢が非常に真摯な方々です。僕はこの病院における一年間の勤務が精神的にとてもきつかったのですが、それは患者さんが重い病気の子供ばかりだったから。手術や薬で治る病気ならまだいいけれど、治らない病気を持つ子供とその両親をみるのは、本当に辛かった。しかし、お二人の先生は同じように辛い思いを感じながらも、病気に対する研究や治療への熱心な努力をされていました。自分のためではなく、世の中のために仕事をしていたんです。立派なお医者様だと心から思いますし、今でもお手本にしています。

医者も患者さんも、みな同じ。気軽に相談に来てほしい


院長作成の「スマイル新聞」。最新号は自由に持ち帰ることができる。バックナンバーも待合室に置かれているので、患者さんはいつでも読むことができる。

 僕が患者さんに対して心がけていることは、不安感を与えないこと。患者さんはただでさえ不安なので、にこやかに、話しやすい雰囲気を作るようにして、少しでも安心して頂けるようにしています。
 「偉そうにしないよう」気をつけているわけではありません。よく患者さんから「先生には何でも話しやすい」「居丈高じゃないところがいい」と言って頂くのですが、正直なところ、僕は自分をまったく偉いと思っていないので、居丈高になりようがないんです。
 僕は一度就職に失敗して、違う会社に行きました。それはいまだに挫折感として残っています。他人からバカにされたことより、自分が落ちたマスコミの会社(某テレビ局ですが)を見ると、今でも劣等感がわいてくるんです。もちろん、医者になりたくてなったのだし、マスコミへの就職はすでに諦めている。でも「一度挫折した」気持ちが今でもあるので、「自分はすごい」と思えないんです。
 でも、それでいいと思います。「自分はすごいわけじゃない、単なる医者だ」と思うことは、自らを卑下したり、投げやりになることとは違います。
 僕の医院では年に4回、「スマイル新聞」を作って院内に置いているのですが、その理由は二つあります。ひとつは、眼や眼の病気について、誰にでもわかりやすい文章で伝えたかったから。医学書や医学雑誌を抜粋しても文章が難しいので、なるべく中学生でもわかるくらいの平易さにして、なおかつ興味をひく内容にするよう心がけています。
 もうひとつは、医者の本音を伝えたかったから。例えば、僕が白内障にかかったらどうするか。手術を受けなければならないとしても、きっとさんざん迷って、しばらくのあいだは後回しにしてしまうかも。糖尿病だからと食べ物を制限されても、我慢し続けるのは難しいと思う。医者は患者さんにいろいろと言うけれど、人間だからその通りにできないこともありますよね。そんなふうに「人はみんな、同じ」であることを前提に、僕は医療に従事したいと思っているんです。
 クリニックを予約制にしないのも、僕の主義。高級ホテルじゃない、普通の眼科なんだから、患者さんが痛いとき、相談したいときに来院されればいいと思う。予約制の医院を否定するわけではありません。うちでも手術や時間のかかる検査のときは予約が必要です。でも眼科で常に予約が必要だと、患者さんは「何週間後の何時に来て下さい」を、「それまで来なくていい」と捉えてしまい、治療が遅くなってしまいがちです。
 また、僕自身がずぼらなので、予約制の病院に行きたくないというのも理由です(笑)。例えば患者さんに「2週間後に来て下さい」と言っても、事情があって3、4週間後に来院されることもあります。心のなかでは「治療したいから、早く来て」と思っています。でも僕自身に置き換えて考えると「きっかり2週間後に来るなんて、難しいよな」とも思う。患者さんの精神的な負担は、なるべく少なくしたいと思います。
 患者さんは、病院だからといって気負わず、いつでも気軽に来てほしい。「目が変だな」と感じたら、気にしながら放っておかないで、まずは相談だけでもいいから眼科に足を運んでほしいんです。程度の軽いうちに処置すれば、治る病気はたくさんあるのですから。

私のクリニックなんて、潰れてもいいと思う

 僕は月曜から土曜まで毎日多くの人と会い、ずっとこの狭い診察室にいます。そのせいでしょうか、たまに一人で遠くへ出かけたくなります。
 そんなときは、折りたたみ自転車を抱え、電車に乗ってどこかの町へ。着いた先で自転車に乗って、まったく知らない町をぷらぷらと走るんです。これまで鳥羽や京都などに行きましたが、特に好きなのは日本海側の町並みです。ちょっと寂れた雰囲気の場所や、歴史をしのばせる建物がある。新潟県の村上市は良かったですね。村上市はイヨボヤ(村上地方の鮭の呼び名)で栄えた街で、村上城もあります。若狭湾の近くにある小浜市も素敵でした。散策なんて若いころは別に好きじゃなかったけれど、年をとってだんだん好きになりました。とはいえ、行けるのは年に3、4回程度。釣りも好きだけど、あまり時間がとれないのでなかなか難しい。あとは診療後に飲む缶ビール、これが今最高の幸せです。いずれにしても、お金のかかる趣味ではないですね。
 お金といえば、サラリーマン時代「お医者さんて儲かるんだろうな」と思っていましたが、実際眼科クリニックを経営してみると、大変な割に収入は多くないですね。僕の経営が下手なのかもしれないけれど。普通の会社だったらノルマや売り上げ目標があるのかもしれませんが、僕にはないですから、それだけで幸せと思います。医者が金儲けに走ったら、人としての道を踏み外してしまうような気がして怖いです。
 僕がそういったことを意識し、自分の立ち位置をはっきりさせることができたのは、挫折やまわり道を経験したからかもしれません。邪道といえば邪道でここまで来たけれど、それで良かったのかな、と今になって思います。
 医者として、心から患者さんには早く治ってもらいたいと思うし、「もう来なくていいよ」と言ってあげたい。もっと言えば、目の病気なんてこの世からなくなって、私のクリニックが潰れてもいいと思っている。半分冗談ですが、半分本気。たまには、こんな医者がいてもいいんじゃないかな。

取材・文/瀬尾ゆかり(せお ゆかり)
フリーライター・編集者。編集プロダクション勤務を経て独立。医学雑誌や書籍、サイトの編集・記事執筆を多数手掛ける。ほかに著名人・文化人へのインタビューや、映画・音楽・歴史に関する記事執筆など、ライターとして幅広く活動している。

山口眼科クリニック

医院ホームページ:http://www.yamaguchi-eyeclinic.com/index.html
yamaguti_b01.jpg yamaguti_b031.jpg yamaguti_clinic_b02.jpg
待合室は、白を基調とした壁に木目をあわせた、柔らかな雰囲気。病院にいるストレスを感じさせない。また歩きやすいよう、床には段差がない。
JR八王子駅から徒歩1分。詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目

眼科

山口伸幸(やまぐち・のぶゆき)院長略歴
山口伸幸院長
1987年 千葉大学医学部入学
1993年 千葉大学医学部卒
1993年 千葉大学医学部眼科学教室入局
1994年 千葉県こども病院眼科勤務
1995年 国保君津中央病院眼科勤務
1996年 栃木県厚生連石橋総合病院眼科勤務
1998年 山口眼科クリニック開設




記事を読んでポイント獲得!

10pt 進呈!!

この記事を読んで
簡単なアンケートに回答すると、
"Amazonギフト券に交換できる"
QLifeポイントを獲得できます!

白内障に関する
緑内障に関する
この記事を読んだ人は
他にこんな記事も読んでいます。
記事の見出し、記事内容、およびリンク先の記事内容は株式会社QLifeの法人としての意見・見解を示すものではありません。
掲載されている記事や写真などの無断転載を禁じます。