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[クリニックインタビュー] 2010/07/30[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第77回
武藤耳鼻いんこう科医院
武藤功太郎先生

東中野で祖父の代から三代目

 武藤耳鼻いんこう科医院は、僕で三代目。戦前から祖父が東中野の町で開業していました。…と言っても、僕自身は最初から跡を継ごうと思っていた訳ではないんですよ。祖父も父もいつも診療に忙しくてほとんど家にいなかったから、医師という職業についてじっくり話を聞く時間もありませんでした。自分は自分で好きな道を行こうと考えていましたね。
 だから、高校時代はずっと文系で、その頃憧れていたのは美容師。音楽の道に進む夢も持っていました。それでも、大学受験を前にして進路について考え始めたとき、医療の道で身を立てて行くことが自分にとって一番自然なことのように思えて来たんです。一旦高校を卒業して仕切り直し。医学部受験の予備校に通い、2年後に合格しました。
 そうやって回り道して入った医大ですが、入ってみるととても水に合っていたと思います。外科の実習で血を見るのも怖くはなかったし、逆に「何とかしなきゃ」と反射的に体が動くんです。漠然と、脳外科、耳鼻咽喉科、小児科‥外科系の科に行こうと思うようになりました。そして卒業後医局に入る時点で、最終的に耳鼻咽喉科を選択したんです。

医局で難しい手術に明け暮れる日々、同時に開業医でも二足のわらじ

 内科のイメージを持たれることの多い耳鼻咽喉科ですが、実は“頭頸部外科”と言って、外科に属します。そして手術を行う場合、外科の中でも特に難易度が高いということも、ほとんど知られていないのではないかと思います。
 では、何故耳鼻咽喉科の手術が難しいかと言うと、耳・鼻・のどは脳に近く、更に顔の造作や会話、食事の機能にも大きな影響を与える部位ですよね。極端な話、内臓の手術跡だったら服を着てしまえば外からは見えませんが、顔はそういう訳にはいきません。だから耳鼻咽喉科の手術では、形成外科の先生ともチームを組んで、慎重の上にも慎重を期した手術を行います。時間が15時間以上かかるなんてこともザラ。1回の手術が終わるとへとへとになるくらい、体力と精神力の全てを注ぎ込むんです。
 更に耳鼻咽喉科の場合、術後の傷のフォローも、実は手術と同じくらい難しい。これはやはり「顔に近い」ということが理由です。患者さんの外見に影響が出ることがないよう、傷跡の回復を特に慎重に診ていかなければなりません。耳鼻咽喉科の医師はこのように、術前・術後を通じて常に難問に挑戦し続けている訳です。
 卒業後、入局した東京医科大学系列の病院に勤務しながら、そうやって、日々、喉頭がん、咽頭がん、重度の蓄膿症…たくさんの難しい手術を担当することになりました。何年も何年も、体力・精神力、ともにすり減るような緊張が続きましたが、それでもへこたれなかったのは、一つには恩師の影響が大きかったと思います。深い見識と、どこか人として型破りな魅力を備えた先生たちに出会い、その力に引っ張られていたんですよね。


患者さんからプレゼントされた人生訓ポスター。年配の患者さんに大好評だとか。

 そしてもう一つ、医者を支えてくれるのは、もちろん何と言っても患者さんの言葉です。手術を終えて回復されていくときに、「手術を受けて良かった」「ずっと痛かったのどの辺りがスッキリしたよ」…そんな声を耳にすれば、一瞬にして全ての苦労が報われます。そうやって卒業後10年以上、大学病院での日々が続きました。
 ところで、僕は、大学病院で難しい症例に向き合いながら、一方でいわゆる“町の耳鼻咽喉科”にも非常勤で通い続けていました。
 と言うのも、大学病院での耳鼻咽喉科診療はとにかく強い緊張を強いられる仕事ですから、体力的にも精神的にも、一生続けることは難しいと感じていました。どこかの時点で家を継ぐか、自分で開業をしようと思っていたので、そのときに大学病院での経験しかないのでは、片寄った医者になってしまう。普通の生活の中で必要とされる“町の耳鼻咽喉科診療”をきちんと知っておきたいという思いがありました。だから、どんなに大学病院の仕事が忙しくても、町の医院での非常勤勤務を軽んじて見たことはないんですよ。二つの世界を行ったり来たりしながら、医師としての経験値を積み上げていきました。

開業、そして一番大切にしていること


診察室には、初代院長である祖父の写真が飾られている

 そして、2008年、祖父と父の後を受けて、武藤耳鼻いんこう科医院の三代目を継ぐことになりました。父が大分年老いて来たし、そろそろタイミングかな、と。大学入学と同時に家を出て独立していましたから、20年振りに東中野の町へ帰って来たことになります。
 そうやって開業した僕が、この2年間、特に大切にして来ていることは、“患者さんとしっかり話をすること”です。実はふだん僕はかなり無口な方なんですが、診療室に入ると人格が変わってしまうと言っていいくらい、とにかく患者さんとよく話をします。毎日朝9時に病院を開けてから3時間半、ずーっと喋りっぱなし。昼休みを挟んで午後から夜7時までも、またずっと喋りまくっている…そんなかんじかな。
 これは何故かと言えば、要するに、患者さんの言葉から情報を集めたいと思っているんですね。特に長いタームで治療をしている患者さんであればあるほど、つい「はい、いつもの薬ね」で済ませてしまいがちになりますが、それではいけない。「前回と比べて、今はどうですか?」「昨日と比べて今日はどうですか?」そうやって話をして、良くなっているなら、何が効いたのか。あまり変わっていないのなら何を変えたらいいのか。話をすることで浮き彫りになることがたくさんあると思っています。だから僕は診察のときは質問魔ですよ。患者さんにとにかくたくさん話してもらいたいから、まず僕から質問をするんです。
 それから、もう一つ、1日でも早く元気になって頂くために、僕から患者さんに説明しなければいけないこともたくさんありますよね。たとえば、何故この薬を飲まなければいけないのか。それから、食事やお風呂、生活上の習慣などについて制限があるときには、何故我慢をしてもらわなければいけないのか。そういうことを、一方的に医師から患者さんに言い渡すのではなく、しっかり理解してもらわなければいけないと思っています。だって、理解して頂いていればそれだけしっかり処方を守って頂ける訳ですから、治療の効果もずっと上がる。要するに患者さんが早く元気になれる訳です。こうやって僕は毎日喋りまくることになるんですよね(笑)。
 先ほど耳鼻咽喉科は外科だという話をしましたが、もう一つ、意外なほど、耳鼻咽喉科って守備範囲が広いんですよ。たとえば時々こんな例があるんですが、重い喘息で長年治療をしてきたけれど、なかなか治らない患者さんがいらっしゃった。ところが、何かのことで耳鼻科に鼻の治療に来て、ちょっと通ったら簡単に治ってしまった。実は喘息ではなく、鼻の病気だった訳です。これに限らず、めまいや頭痛、耳鳴りも、脳や神経系統をまずは疑いますが、耳や鼻が原因であることも結構あります。長年治療しても治らない場合は、一度耳鼻科を受診してみると良いと思いますよ。

変わりゆく街の中で、家族と一緒に


これが愛犬の二頭のポメラニアン

 医院は、妻と二人三脚で経営しています。妻には開業後、受付から細かい事務仕事まで、診療以外の医院を支える仕事を全面的に担当してもらっています。
 それから、実は父もまだ完全に引退した訳ではないんですよ。学校医の仕事は父に担当してもらっているので、特に夏のプール授業が始まる前は大忙し。まさに家族経営ですね。
 家族と言えば、うちは夫婦ともに犬が好きで、自宅で二匹のワンコと毎日触れ合うことで気分転換をはかっています。毎日欠かさず一緒に散歩にも行っていますよ。僕が元気なときもちょっと疲れているときでも、変わらずじっと顔を見上げてついて来てくれる。心からほっとしますね。
 …とは言うものの、診療外の時間も、骨休みばかりはしていられません。医療は日々進歩していますから、新しい時代の診療に遅れないよう、医師会や製薬会社が主催する勉強会にちょくちょく参加しています。もちろん、患者さんに迷惑をかけないよう、休診日の木曜か、診療が終わった夜の時間に参加するようにしていますけれどね。
 東中野に帰って来て、2年が経ちました。この町も僕が育った頃とは、大分変って来たなと感じます。僕の子ども時代は小さな商店がごちゃごちゃと建ち並ぶ、どこか下町情緒あふれる町でしたが、今はマンションが増えて都会の住宅街になりつつありますね。ここから都心のオフィスに通って、夜にこの町に帰って来る。そういう方たちのご家族が、今の僕の患者さんです。
 また、面白いのは、夕方から夜の時間帯は、新宿近辺からいらっしゃるサラリーマンの患者さんがとても多いこと。そういう方たちは都心近県辺りに住まれていて、毎日新宿のオフィスに通って来ている。そして仕事が一段落した後の時間に、帰宅前にうちに寄って診療を受ける訳です。
 こうして武藤耳鼻いんこう科医院が祖父の代から父の代へ、そして僕へと代替わりしていったように、町も変化しているのだと思います。その中で、誠実に一人一人の患者さんと向き合いながら、医師としての役割を果たしていきたいですね。

取材・文/西本摩耶(にしもと・まや)
フリーランス・ライター。広告代理店勤務を経て、2007年より独立。ビジネス人インタビュー、広告業界関連書籍など執筆多数。近著は『プレゼンのトリセツ』(ワークスコーポレーション刊、共著)。

医療法人社団功恵会 武藤耳鼻いんこう科医院

医院ホームページ:http://mutojibi.web.fc2.com/

JR総武線東中野駅東口から徒歩3分。大久保通りへ向かう商店街の途中を右に曲がった、静かな住宅街の中。一見普通の住宅かと間違えてしまいそうな、あたたかい雰囲気の建物。
詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目

耳鼻咽喉科

武藤功太郎先生略歴
武藤功太郎先生
1994年 埼玉医科大学卒業
1995年 東京医科大学耳鼻咽喉科入局
1997年 東京医科大学霞ヶ浦病院勤務
1999年 田無第一病院勤務
1999年 東京医科大学八王子医療センター勤務
2009年 武藤耳鼻いんこう科医院医院長


■資格・所属学会他
日本耳鼻咽喉科学会、日本気管食道科学会、 耳鼻咽喉科臨床学会、耳鼻咽喉科展望会



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