[クリニックインタビュー] 2010/09/24[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第86回
矢内原医院
矢内原巧先生

父と一緒に開業するはずが、教職30年

 矢内原家は代々、医者の家系で、祖父も父も医者でした。僕は5代目になるのですが、息子2人も医者です。こうした環境で育ってきたこともあって、子どもの頃から将来は医者になろうと思っていました。とくに父親や親戚に「医者になれ」と言われたこともないですし、自分も子どもには「医者になれ」と言ったことはないのですけどね。おのずと「ならなきゃいけない」と、思っていたのかもしれません。
 父と私、そして息子2人は、産婦人科医なのですが、実は学生のときに、精神科医になりたいなと思ったこともありました。しかし、それ以上に、父親が産婦人科医であったこと、そして、その産婦人科医である父親と一緒に鎌倉でも皆さんに慕われるような産院を作りたいという思いがあり、今に至ります。
 今になって思うと、父は私と一緒に診療所ができるとは期待をしていなかったみたいです。父自身が非常に元気で診療を続けていましたし、その間、診療所の規模を大きくするわけでもなかった。そして私は私で大学での研究や臨床、教育や学会の仕事で手一杯。当初は、2~3年教職にいてから開業しようとも思っていたのですが、教授になって走りまわるような毎日。結局、退職まで大学にいましたから、一緒に開業するどころではありませんでした。父は84歳まで現役の産婦人科医として患者さんを診ていましたが、その間、父から「帰ってこい」とは、一度も言われなかったですね。

定年退職後からの借金、そして開業―決意させたのは父のひと言


清潔で落ち着いた雰囲気の待合室。

 30年の教職を経て定年後に開業しましたが、私のように定年後に開業という例は、非常に少ないようです。それに、開業するとすべてをひとりでやらなくてはいけないし、体力も必要になります。また、資金もとてもかかります。実際に65歳を過ぎていて、体力は衰えてきていましたし、資金もありませんでしたから、とても考えましたね。
 ただし、前例がないわけでもなかったのです。そこで、定年から開業された先生方にいろいろアドバイスをいただきました。そして、妻や子どもにも「67歳から借金をして開業してもいいか」と、相談もしました。「借金も財産のうちだから」と、強引に押し切ったようなものでしたが……。
 そして、父が亡くなってから17年間閉院していた診療所を建て直して、平成12年に開業。「なぜ大変だとわかっているのに、定年退職後から開業したのですか?」と、よく聞かれるのですが、それは、父のあるひとことがきっかけになっています。
 父は91歳のときに病気で亡くなったのですが、亡くなる2週間前にお見舞いに行ったときに、ポツリと「医者は患者を診るのが本来の姿なんだよ」というようなことを言ったのです。このひとことが、定年後に開業しようと決意した一番の大きな理由でした。
 父は非常に勉強家で研究熱心な人でしたから、私自身が大学に残っていることに喜んでくれていると思っていたので、父と会ったときは、最新の医学情報や自分の研究、珍しい症例のことなどをよく話し合っていました。ある意味それが親孝行かなと思っていましたから。しかし、それだけではなかったみたいですね。84歳まで現役で患者さんを診てきた父と同じ年代まで生きられるとしたら、定年退職をしてからもあと20年はある。その間、専門医として生きる道として開業することにしたのです。
 大学や学会での毎日は充実していましたが、非常に慌しい。ひとりに患者さんをじっくり診察する余裕もありませんでしたから。しかし、開業するとひとりの患者さんに時間もかけることができますし、面白いことに、30年以上も産婦人科を専門でやってきていても気がつかなかったような病気を診ることもあるのです。いいことは挙げればきりがないくらい、開業して本当によかったなと思います。

診察でも趣味でも、何か自分でテーマを持つ


4D超音波で胎内にいる赤ちゃんを見る矢内原先生

 主体は患者さんを診ることですし、たいした趣味とは言えませんが、休日はたまにゴルフもやりますし、海が近いので、朝晩散歩に出かけることもあります。また、音楽が好きで子供の頃にピアノを習っていたので、5年前くらいからまたピアノを習いはじめました。地元の合唱団にも入って歌を歌うこともあります。
 そのピアノ教室に通うようになり、教室をお借りして、ピアノの先生と「赤ちゃんと音楽」というコンサートを開くこともあります。これは、母親の胎内にいる赤ちゃんが音楽を聞いて、どんな表情や反応をするのかを4D超音波で見る試みです。胎内で微笑んだり指をくわえている赤ちゃんの写真を撮ったりDVD化して、患者さんに差し上げているんです。それ以外にも、ラジオ番組に呼ばれて出演したり、講演をすることもあります。
 医者というものは、概して社会音痴ですから行動範囲が限られてきます。それに学生や教職時代と違い、診療所には研究室があるわけではないので、診察でも趣味でも何か自分でテーマを持たないと、モチベーションを失います。あと何年働くことができるのかわかりませんが、自分が動ける間は父のように長い間、ひとりでも多くの患者さん方と関わっていきたいと思いますし、自分の専門や知識、趣味を生かして、ひとりでも多くの患者さんのため、そして世の中の役に立っていきたいですね。

取材・文/酒井久美子(Kumiko Sakai)
出版社、編集プロダクション勤務を経て、フリーランスのライターに。新聞社や出版社の各種雑誌や書籍、ウェブサイトの企画編集、執筆や取材などを行う。

矢内原病院

医院ホームページ:http://www.yanaihara.com/

JR鎌倉駅より徒歩10分、江ノ島電鉄和田塚駅より徒歩1分。史跡和田塚裏の閑静な住宅地の中にある。鎌倉という観光地が隣接するのだが、非常に静かで落ち着いて治療を受けることができる。お洒落な一軒家の作りのためか、まるで友達の家に遊びにきたようなリラックスした気分にさせてくれる。
詳しい道案内は、医院ホームページから。

診療科目

不妊症、更年期障害、月経異常、妊婦健診、がん検診、思春期相談、家族計画

矢内原巧(やはいはら・たくみ)院長略歴
矢内原巧院長
1961年 慶応義塾大学医学部卒。慶応義塾大学付属病院にてインターン
1962年 東京大学医学部産科婦人科学教室入局
1968年 東京大学医学博士授与。米国ペンシルバニア州ピッツバーグ大学留学
1970年 ピッツバーグ大学Assistant Research Professor
1972年 帝京大学医学部助教授
1975年 昭和大学医学部助教授
1985年 昭和大学医学部教授
1988年 昭和大学医学部主任教授
2000年 昭和大学名誉教授
「米国産婦人科学会(ACOG) honorary fellow」、「Best Doctors」にも選出されている。


■所属学会
日本産婦人科学会名誉会員、米国産科婦人科学会名誉フェロー、日本不妊学会名誉会員、日本思春期学会名誉会員、日本更年期医学会名誉会員など。



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