[クリニックインタビュー] 2010/12/10[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第97回
医療法人誠心 志村デンタルクリニック
志村俊一先生

北海道の草分け的存在だった祖父

 当院は祖父の代から約80年、3代続く歯科です。2代目は伯父が経営していましたが、3代目は私が継ぐことになりました。この前も、患者で来られた90歳ぐらいのおばあちゃんが「先生はむかし、待合室の柱にひもでくくられていた坊やでしょ」なんて言うんですよ(笑)。母が歯科衛生士として働いていましたから、きっと私は院内をチョロチョロしていたんでしょうね。
 私の家は隣にありましたが、いつも晩ご飯は医院の隣にある院長宅の大広間で食べていました。祖父や伯父たちもいっしょで、まさに大家族といった雰囲気でしたね。私はよく祖父にロータリークラブのイベントなどに連れて行ってもらっては「お前は歯医者になれよ」と言われていました。中学生の時に祖父が亡くなった際のことはとても印象に残っています。私にとっては普通のおじいちゃんだったのですが、お葬式には驚くほどたくさんの医師の方が来られました。そして、祖父が歯科医として草分け的な存在であり、いかに歯科診療に貢献したかを話してくれたのです。

生死にかかわる現場で健康の尊さを知る


エントランスには初代と2代目の医院と院長の写真が飾られている

 祖父の石井次三は、昭和7年に札幌市内でも草分け的な歯科クリニックである「石井歯科医院」を立ち上げました。札幌歯科医師会の創設にかかわり、2代目会長および北海道歯科医師会の会長も務めたほか、当時の北海道にはまだ歯学部がなかったため、北海道大学の歯学部設立にも尽力したそうです。また「お口の健康が大事」といった内容で、一般に向けた啓蒙活動も行っていました。そういったことを、私はお葬式の時に初めて知ったのです。さらに高校生の時、2代目である伯父が脳こうそくで倒れたことで私の道は決まりました。それまでは、漠然と歯医者になるんだという思いのほか、物づくりが好きだったこともあり建築家への道も考えていましたが、それ以降は受験先を絞り祖父も学んだ東京歯科大学へ進みました。
 大学卒業後は、札幌医科大学の口腔外科に入りました。現場では悪性腫瘍や交通事故の患者さんなど、重症で生死にかかわるような場面にもたくさん遭遇しました。そこでの経験から、人間にとって健康という状態がお金では買えない、何物にも替え難いものであると心から実感し、自分が医療人として携わっていくことを強く確信したのです。
 さらに、子どものころから持っていた人間の体に対する不思議さ、神秘といったものも深く実感するようになりました。人間の体は恒常性のバランスを取るため、常にいろいろな細胞が動いています。ウイルスが侵入しても、症状が出ないで終わることもあります。つまり、勝手に体が治してくれるのです。しかし、この免疫力が維持できなくなってくると、痛みが出たり腫れたりという症状につながります。ですから、例えば歯科領域なら虫歯や歯周病といった“症状”だけを治しても、免疫力や抵抗力が弱っていれば、やはり同じことを繰り返してしまう。そういったことから、対症療法だけでなくトータルに診られる治療をと考えて、2002年に改築を行い「志村デンタルクリニック」として新たに出発しました。

患者の体調や生活環境を知ることも重要


「歯にも個性がある」と志村院長。口の中やレントゲンの写真を見せながら患者個人のリスク傾向などを説明する

 当院では、例えば親知らずが腫れて痛むという場合に「すぐに抜きましょう」と言うのではなく、患者さんの状態を診て抜歯するタイミングを計っています。やはり、腫れているのは抵抗力が弱っているケースも多いからで、体調が改善された時に抜歯を行わないと良い結果が得られないからです。もちろん、その間の痛みを抑える処置は行います。
 普段の診療でも、患者さんに生活の変化や病気、ストレスなどの背景がありそうなときには、注意して声をかけるようにしています。「最近疲れていませんか」「寝不足じゃないですか」と。そうすると、患者さんも「実は1週間前に風邪を引いて……」と話してくれたりします。そういった背景も見ながら治療方針を決めていきたいので、まず初診で来た患者さんに対してはゆっくりと時間をかけてカウンセリングを行っています。また、口の中の写真やレントゲン撮影をして、実際にスライドを見せながら「今、なぜこうなったのか」を説明します。患者さんにも個人差があり、もともと虫歯になりやすい人もいれば、逆になりにくい人もいる。また歯ぐきが弱い人がいるなど、さまざまです。今までの口の中における患者さんの傾向が分かれば、それを改善していくことにより将来のリスクなどの悪い流れを断ち切ることができる。「痛いから治す」だけではなく、患者さん個人のライフステージに合わせて10年、20年後を見据えた治療を一緒に考えています。

スタッフの長所を伸ばす環境づくり


プライバシーを配慮した半個室タイプの診療室

 現在は、複数の医師と歯科衛生士、支援スタッフが連携しながら治療を行っています。スタッフ個々の良さを引き出すのも自分の責任と思っているので、楽しくやれるよう、そして長所を伸ばすように心がけています。ミーティングもよくしていますよ。例えばスタッフが一生懸命やったことでも、思うように成果が伴わないこともある。でも、そこに至るまでのスタッフの気持ちが分かれば、次に同じようなことがあったときに協力し合うことで解決できます。また、スタッフが良かれと思って行うことでも、病院の方針とずれが出てしまう場合もあるので、やはりそこは話し合って統一するようにしています。
 私の趣味はゴルフで、8年ほど前から始めました。普段は診療室にずっといる分、外でプレーをする気持ち良さがいいですね。大学時代はバスケットボールをしていてチームプレーの大切さを学びましたが、ゴルフは個人プレーになります。打つ時のタイミング、ミスをした場合のリカバリーなど、すべて我が身にかかってくるんですよ。今の自分の立場と重なっているかもしれません。気持ちがカッカしたときに精神状態を統一させるなど、客観的な自分をつくれるスポーツだと思っています。

先代の思いを継ぎながら地域に根差した歯科医に


待合室に入る前の引き戸上部には開設の年が彫り込まれている

 クリニックに入ると、医療法人の由来にもなった「誠心」と墨書された額がかかっています。これは初代院長が、東京歯科医学専門学校(旧東京歯科大学)の創設者である血脇守之助校長からいただいたものです。血脇先生は日本近代歯科医学の先導者でもあり、野口英世博士の恩師としても知られています。
 この「誠心」という言葉には「歯科医師である前に人間であれ」という意味が込められています。私はこの地で生まれ、ずっとここに住んでいます。ですから、プライベートの日でも歩けば患者さんに会うし、ある意味ではガラス張りの生活です。3代にわたって通ってきてくれる患者さんもいます。休みの日や夜にも電話がかかってきて診療をしたこともある。でも、それが本当の町医者だと思うんです。先代の思いを大切にしながら、少しでもリラックスできるような、地域に根差した医院でありたいと思っています。

取材・文/高橋明子(たかはし・あきこ)
東京の業界紙や編集プロダクション勤務を経て、札幌移住を機にフリー。各種雑誌やウェブサイトで地域情報や人物、住宅などの取材を行う。

医療法人誠心 志村デンタルクリニック

医院ホームページ:http://www.shimura-dental.jp/

待合室は大きな窓から光が差し込みゆったりとくつろげる雰囲気だ。診療室は半個室タイプのブースで他人の目を気にすることなく治療を受けられる。
地下鉄東西線『バスセンター前』10番出口より徒歩5分。または札幌中心部より南1条通りを東に向かって一条大橋のすぐ手前左側。
詳しい道案内は、医院ホームページから。

診療科目

歯科・小児歯科・歯科口腔外科

志村俊一(しむら・しゅんいち)院長略歴
1997年 東京歯科大学卒業
同年 札幌医科大学口腔外科学講座入局
2000年 石井歯科医院院長就任
2002年 医療法人誠心志村デンタルクリニック開設


■所属学会
日本口腔外科学会 、日本歯周病学会、日本顎咬合学会(認定医)、日本臨床歯周病学会


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