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[クリニックインタビュー] 2011/01/14[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第99回
笠原小児科皮ふ科医院
笠原昇一先生

「医は仁術」を身近に感じて

 私の家は母方の祖先が信州で御殿医を代々務め、祖父も町医者だったので医業とは縁がありました。ですから、私も子どものころから漠然と医師になりたいと思っていましたね。
 昔の医療は、まだ技術も今ほど発達しておらず、治療できる範囲が限られていました。それよりも、病める人にどう接したらいいかといった精神的なケアが大切になります。私も若いころはシュバイツァー※1の生きざまに憧れたり、また医師であったカロッサ※2やクローニン※3などの小説を読んだりしたこともあって、治療だけでなく精神的な面でも患者をサポートするような医療人になりたいと思っていました。
 私は東京生まれでしたが、官吏だった父の転勤で各地を回り北海道の札幌医科大学に入学、卒業しました。小児科を選んだ理由は、インターン時代に国立相模原病院でお会いした塩田浩政先生の影響です。北海道大学出身の塩田先生は、アカデミックな学者というよりも愉快でエネルギッシュな性格、いっぽうで非常に勉強熱心な方でした。小児科医のバイブルと言われる『ネルソン小児科学』という分厚い本があるのですが、塩田先生は「君たちは勉強する時間が取れないと言うのは嘘だ。僕なんかネルソンを通勤電車の中で読んでいるぞ」とおっしゃるんですね。近年は和訳が出たようですが、もちろん当時は英語の原文です。私も必死になって読みました。その先生に「君、小児科やれよ」と言われまして、私は小児科への道を進むことになったのです。

※1 アルベルト・シュバイツァー…アルザス人で医師、神学者、哲学者。アフリカ・ガボン共和国での医療と伝道に尽くした。
※2 ハンス・カロッサ…ドイツの医師で小説家、詩人。『幼年時代』『ルーマニア日記』など自伝的な小説を発表。
※3 A・J・クローニン…イギリスの医師であり小説家。『城砦(じょうさい)』など人道的な作風で知られる。

夕張ポリオ大流行で懸命の救護活動


患者の年齢層は乳幼児からお年よりまでと幅広い。入口には車いすも置いてある

 私がインターンから北海道に戻り母校の大学院へ進んだ翌年、ちょうど1960年のことです。夕張を中心に小児麻痺(まひ)と呼ばれるポリオが大流行しました。1600名を超える患者が発生、そのうち100名あまりが亡くなったのです。ポリオは主に小児に起こる感染症で、症状が重くなると呼吸が麻痺していきます。目の前で重症のお子さんが呼吸さえできなくなって死んでいく。それは悲惨なものです。当時、私を含めた無給の医局員や大学院生たちが主力となって必死に救護活動を行いました。自衛隊のヘリコプターや救急車で重症患者を札幌医大に搬送し、米軍から数台貸与されていた「鉄の肺」と呼ばれる人工呼吸装置に収容する。しかも当時は、突然に停電が起こることもありました。そんな時は手動で鉄の肺を動かし続けたものです。
 この翌年には、米国でセービン博士が開発したセービンワクチン(ポリオ生ワクチン)の投与によって劇的にポリオが減少しました。そして私もその年から4年間、衛生学教室の金光正次教授や病理学教室の新保幸太郎教授の指導のもとに、文部省の機関研究の一員としてポリオの発生メカニズムについての研究を行いました。後に私が米国へ研究留学した際、ルイビル大学のほかシンシナティ大学で仕事をしたことがありますが、ちょうど私がいた研究室の階下がセービン博士の部屋でした。かつてのポリオの大流行を思い出して感無量になったものです。

妻と自分、それぞれの良さを活かして

 その後は、札幌医科大学病院で子どもの染色体異常の研究や悪性腫瘍などの診療をしていましたが、1970年に皮膚科医の妻と小児科、皮膚科を掲げた現在の医院を開設しました。
 小児科と皮膚科の境界にある子どもの病気は、割とあるものです。例えば発疹が出たからと皮膚科で診たら溶連菌(ようれんきん)感染症だった、また水ぼうそうで熱が出たら小児科を、熱がなければ皮膚科を受診する場合もあります。その点では、情報交換をしながら診療を行えるのがいいところでしょうか。
 また、開業後は一人ひとりの患者さんにどう接していくかという自分の志した原点に返って診療を行っています。できるだけ親切かつ丁寧にと心がけていますが、患者さんに必要なことはあいまいにしないできちんと言いますよ。うちは大人の患者さんも多く、例えば糖尿病の疑いがあるのに検査などしなくていいという方もいます。それでも本人のことを考えればやはり検査を受けること、また体重を減らすことなどは大切なので、しっかりお伝えして理解していただくように努めています。
 小児科医としては、就学前のお子さんに対する健康の維持や増進にも関心を持ち、日本保育園保健協議会の議長や北海道保育園保健協議会の会長なども務めてきました。校医や園医などは続けていますし、また日本小児科医会が認定する「子どもの心相談医」にもなっています。例えば「お腹が痛い」など、このごろはお子さんの心の問題から受診される親子さんも多くなっています。身体症状から訴えられるので一応は検査もしますが、何回か来られるうちにお子さんの抱えている問題などをお母さんがポツリポツリと話してくれるようになる。場合によっては、お母さんだけに来てもらってお話をうかがうこともあります。一介の医師では限界がありますが、例えばいじめなどの問題があれば学校との話し合いなどを勧めたり、心の症状が深刻な場合には専門機関への紹介も行ったりと、橋渡し的な役割ができればと思っています。

医師として半世紀、やりがいと責任感


皮膚科と小児科の診療室は隣り合っており病気によっては連携を取って対応する

 休日には、かつては妻とよく山歩きなどをしてリフレッシュしていましたが、今はできるだけ歩くようにしているぐらいです。また油絵を描くことが趣味で、グループ展などにも参加しています。札幌市医師会の通信だよりにも時折表紙を飾らせていただいています。音楽を聴くことも好きですね。ほぼ毎月行われる札幌交響楽団の演奏会には欠かさず出かけています。
 おかげさまで医院を構えてから40年になりますが、ファミリードクターとして数代にわたり通ってくれている患者さんもいます。診ていたお子さんが成長して親になり、自分の子どもを連れてくるほかに「親父が血圧高いから」と親御さんも誘ってくるんですね。
 また、札幌医大時代に診て幸いにも完治したお子さんのご両親から、毎年欠かさずお歳暮を送っていただいています。40年以上前のことなのですが、このように覚えてくださっていることはたいへんうれしいことです。また同じころに診た別の患者さんからも、先日ご両親の治療についてセカンドオピニオンを求められました。まだまだ頼りにしてくださる方がいて、私も責任重大に思っています。

取材・文/高橋明子(たかはし・あきこ)
東京の業界紙や編集プロダクション勤務を経て、札幌移住を機にフリー。各種雑誌やウェブサイトで地域情報や人物、住宅などの取材を行う。

医療法人笠原小児科皮ふ科医院

医院ホームページ:http://www.myclinic.ne.jp/kasahara_s/

内科・小児科を掲げており子どもを連れてきた親も一緒に診てもらえる。
札幌市電山鼻線「東屯田通(ひがしとんでんどおり)」から北へ徒歩約2分。
詳しい道案内は、医院ホームページから。

診療科目

小児科、内科、皮膚科、アレルギー科

笠原昇一(かさはら・しょういち)院長略歴
1958年 札幌医科大学卒業、神奈川県国立相模原病院にてインターン
1965年 札幌医科大学大学院小児科学講座修了
1965年 札幌医科大学小児科学教室助手
1965年~1967年 米国ルイビル大学医学部小児科講師
1970年 医療法人社団笠原小児科皮ふ科医院院長


■資格、所属学会
日本小児科学会、日本小児科医会、日本保育園保健協議会、子どもの心相談医


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