第18回 大都会における“心の病”を診る
[クリニックインタビュー] 2009/05/01[金]
大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。
第18回
初台関谷クリニック
関谷透院長
大都会における”心の病”を診る
私は今年で77歳。出生は奉天(旧満州)でした。ちょうど中学2年の時ハルビンで終戦になり、引き揚げを体験した世代です。
当時、医師だった亡父が満州国の官史だったこと等から、終戦後には、安全に引き揚げるために家族でとても気をつかいました。何年かは母の旧制を名乗ってハルビンでやり過ごし、やっとのことで北海道に引き揚げ、本来の名前の『関谷』に戻りました。北海道では、父が夕張の保健所長に就任しました。私は父の語る「統合失調症の原因を突き止めて、完治させられるようにしたい」という夢をつねづね聞いていましたから、自分も同じ夢を抱いて北海道大学の医学部に進みました。
そして当時は新しかった電子顕微鏡を使って神経細胞を観察することで、なんらかの発見があるだろうと考え、私はひたすら基礎研究と病理研究に打ち込み、北大から東大へ移りました。
“心の病”と言われるものは、突き詰めれば“脳の問題”です。私はそれを解明したい一心で、顕微鏡を毎日覗いていました。当時、ロボトミー手術というのがありまして、これは今ではもうすっかりなくなりましたけれども、とにかく患者さんの凶暴さをなくす目的でかなりの件数の手術が行なわれていたのです。私が研究に使っていたのは、そんなロボトミー手術のブレインカッティングという手法により切除された、統合失調症の患者さんの脳の一部でした。
細胞と格闘していたある日、先天性脳脂質症の原因らしき細胞の異変をついにみつけたのです。これは世界でも初めてとされたものです。(※図)
その発見は当時の学会で注目されましたし、私自身も統合失調症解明に希望を見いだしました。これを機に、より性能の良い電子顕微鏡のある東京大学にも通うようになりました。ただ、電子顕微鏡を使うことにも資金が要ります。色々あってまとまった研究費用が不足しがちになってしまったため、病院に勤めてちょっとでも資金を集めようとしました。こうして私も、統合失調症やうつ病の患者さんを診る機会が増えていき、患者さん目線の精神科医として治療に打ち込んでいきました。やがて電子顕微鏡に代ってMRIなどさまざまな研究方法がいまでは開発されてきました。とどのつまり、亡父が夕張保健所長退職後、開業した初台関谷クリニックを継ぐことになりました。父が病理学の研究を行なおうとして開設していたこの「初台の地」を、メンタルケアの研究所に変更。父も夢半ばでなくなってしまいましたので、以来、私は患者さんを直接診ていく精神科医として、40年ほど初台の地で“こころ”の診療を続けています。もし顕微鏡や研究の費用が続いていたら、臨床ではなく脳神経病理学の研究を続けていたかもしれませんね。
お父さんたちの”帰宅拒否”
今回の私のテーマは、「大都会の“心の病”を診ること」です。大都会である新宿や渋谷から程近いここ初台において診療を続けることにこそ、意味があると思っています。心と脳の関係、統合失調症と脳の関係を解明したくて始めた病理研究でしたが、時代とともに状況も変化しました。これからは現代社会のニーズに応えながら、都会に特徴的な“帰宅拒否”について研究していきたいと考えてきました。
ここでいう“帰宅拒否”とは、いわゆる「ウチに帰れないお父さん」のこと。ウチに帰りたがらずに、なにかと理由をつけてはカプセルホテルのようなところに泊まって、帰宅の機会を減らしていく。そんな「大都会のお父さん問題」が近年多くなり心配させられます。
特に金銭問題、育児問題など、家庭における不可避の問題を直視せず、処理を先送りにして状況をひどくしてしまうケースがこの“帰宅拒否”の特徴といえます。
家人は不在になりがちな夫/父親に対して「亭主元気で留守がいい」というスタンスを取るため、彼らの心の病の芽生えを見過ごしてしまうわけです。家は夫/父親にとって決して「帰りたいわが家」ではなく、「避けるべき場所」として固着してしまい、やがてうつ病の発症につながり、最悪の場合は問題解決を先送りにしたまま、命を絶つことさえあります。これは日本でも東京・大阪などの大都市に限定して顕著な症例なのですが、実は中国の都市部でも似たような問題を抱えているとのことです。“帰宅拒否”について書いた本はすぐに翻訳の話がでて(克服中年危机・講談社)、北京でベストセラーになったそうです。そういう点からみると、個人的にはどうも中国に縁があるみたいですよ。

左:うつ病・帰宅拒否などのテーマにまつわる多数の著書 / 右:中国・北京でも話題になった『「中年の危機」に克つ人負ける人』
とにかく“帰宅拒否”の問題は、現代の都会に生きる人間同士の関係が疎遠になっているために起こることでもあります。都会の大人はもっと互いにスポーツや交流会などを通じて、リアルでコミュニケーションを取る機会を増やして欲しいと思います。それによって解決する問題もたくさんあるはずだからです。
会社も、社員に対してできることがありますよ。社員本人に限らず、その家族に対する福祉を充実させ、家庭と仕事を徹底分離しない状況をつくることです。これをやるのが大変なわけですが、これだけで随分違うはずだと私は考えています。
個人においてもストレス解消はきちんと行なうことが大切です。私自身はスポーツ観戦も好きですし、自分も体を動かすことを好みます。そういうのは気分転換になっていいんです。心も結局は脳の作用ですから、体が動くと気持ちも晴れるものですよ。
加えて、夫婦も親子も現代の人は、もっと密着したらいいと思います。ドライになって離れてしまったので、お互いに遠慮なく喧嘩し合えるような機会も減ってしまった。それが昔の家族と違うところです。昔の夫婦は、あるいは家族は、互いにきちんと向き合ってました。いつでも帰りたくなる家が都会にもたくさんありました。
“帰宅拒否”から自殺に至るレールを遮断するためには、まずお互いに喧嘩し合える関係がおすすめです。喧嘩さえしないまま自殺してしまう人もいらっしゃる。これは取り返しのつかないことです。悩みをもっている人もその家族も、どうか本当のことを打ち明けられる相手をもってほしいと思います。こうした“帰宅拒否”問題についてこれからも研究し、啓蒙していきたいと考えています。
広告代理店のコピーライターを経て、現在フリーライターとしてロンドン・北京・東京の三都市を基点に活動。被虐待児童におけるトラウマティック・ストレス学、および漢方による精神疾患アプローチに関する研究をライフワークにしている。
初台関谷クリニック
医院ホームページ:http://www.hatsudai-sekiya.com/

診察室は落ち着いた空間。医院へは京王新線「初台駅」から徒歩3分。詳しい道案内は医院ホームページから。
診療科目・施設 他
神経科・心療内科・精神療法・心理カウンセリング
*健康保険医・精神保健指定医・精神科専門医
*入院設備あり(19床)
関谷透院長略歴

昭和36年 北海道大学博士課程修了/北海道大学医学部文部教室入局、文部教官
昭和38年 東京大学医学部精神医学教室入局/東京精神研究所付属晴和病院勤務。病棟医長を務め、現在も評議員
昭和46年 東京都初台に『初台関谷クリニック』を開設/現在に至る
■所属学会ほか
元日本精神神経学会評議員/日本外来臨床精神医学会顧問/日本スポーツ振興センター審査専門委員副委員長/神経研究所晴和病院評議員/東京都医師会精神保健検討委員会委員長/東京都各科医会協議会顧問/渋谷区医師会看護学校精神科講師/渋谷区精神科校医
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