[クリニックインタビュー] 2009/05/15[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第19回
のと小児科クリニック
能登信孝院長

恩師に導かれた小児科への道

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開院時の記念写真には、逝去された恩師・原田先生の姿が中央に

 私が医学部に進んだのは、“医者”という仕事に漠然とした憧れを抱いていたからです。どの科の医者になろう、といったような動機は、最初ありませんでした。
 大学3年生の時にハワイ大学での2週間研修があり、それに参加したことが小児科医を目指したきっかけにつながりました。
 当時、小児科のエキスパートだった原田研介先生という方に、講師として研修を引率していただきました。先生はその頃、ボストンで5年間臨床を学び帰国した直後で、私たち医学生に診療姿勢などを丁寧に教えてくださいました。お酒を酌み交わしながら、患者さんのニーズに応える方法や、どうやってきちんと診たらいいのかという医者の姿勢について話してくださり、その際に「自分は病気の子どもたちを助けることが生き甲斐なんだ」と仰っていたんです。
 私はもともと子どもが苦手で(笑)、それを聞くまでは大人を診る科である循環器科に進もうと考えていたくらいです。しかし原田先生の、「私は社会の未来を担う子どもたちを、ひとりひとり守りたいんだ」というメッセージに心打たれ、小児科に進むことを決めました。
 原田先生に出会えたことで、ぼんやりとしかイメージしていなかった医者という職業が、唐突にリアルな感触を伴って迫ってきました。4年生になる頃には医学そのものに対しての深い関心も抱くようになっており、私は武道系の部活三昧の日々を送った後、卒業と同時に日大の小児科医局に入局しました。
 日大小児科を選んだ理由は、大学卒業年にあたる昭和58年当時、小児科講座に高名な教授が3名も在籍していらしたことが大きいです。その頃の日大小児科には、新生児医療の馬場一雄先生、心臓病学の大国真彦先生、そして腎臓病・代謝専門の北川照男先生という、それぞれの大家である先生方が集っておられました。ふつう、医局ではひとつの分野を専門に学んで終わってしまうところを、3分野にわたって取り組める環境だったのです。
 小児科医はつねに子どもの全身を診ますので、そういう意味ではとても恵まれた現場でした。原田先生に小児科医の道を示され、その後も小児医療の真髄を教えてくださる先生方に学べたことで、いまの自分がありますね。

時を越えた再会

 医者になりたての頃は1年ごとに転勤があり、いろいろな大学病院・付属病院での臨床を経験しました。
 足利病院に配属された時、重度の小児喘息を患う女の子に出会いました。転地療養のために来ていた子で、彼女は治療を進めるうえで必要な点滴や乾布摩擦などを毎日忙しくこなし、長期的なスパンで治癒を目指していました。体調を管理して10kmマラソンに挑戦したこともあり、とてもがんばる子でしたね。
 そうしていっしょに治療に取り組んでいましたが、1年交替ですから、私が転勤して以来疎遠になってしまっていました。
 それが先日、つい最近ですけど、彼女が自分のお子さんを連れて当院までみえたんですよ。「私が誰かわかりますか(笑)」なんて言われましたけど、わからなかったです。ほんとうにびっくりしましたねえ。
 2世代にわたって子どもを診るという機会に恵まれて、小児科医のやりがいをすごく感じました。実に嬉しかったです。
 また、心臓病のエキスパート専門施設として知られる福岡市立こども病院に国内留学していた頃は、大がかりな治療を待つ子どもたちも担当していました。九州各地から飛行機で搬送されてくる重症の心疾患の子どもたちを、発着所で待ち構え、その後ただちに緊急手術をおこなうというのも日常的でした。
 そんな折、伊万里から0歳児の子が運ばれてきました。心疾患の手術を私が受け持ち、手術が無事に済みました。特に問題もなく治療を終えましたが、親御さんからはその後毎年毎年、おいしいお米を送っていただきました。
 転勤や開業などで私の住所が変わってしまってからは、親御さんとの連絡も途絶え、「お元気かなあ」など考えたりしていましたが、なんと今年になってから便りがありましてね。「本人が東京に行っているから、会ってやってください」とご連絡いただいたんです。
彼は大きくなって国立大学の医学部に受かったということで、挨拶に来てくれましたよ。手術をした当時の面影がありました。顔をみたら色々思い出し、「ずいぶん立派になったなあ」と感慨深く思いましたね。
 小児科医を長年やっていると、中には亡くなられるお子さんもあり、そんな時には自分の力が至らないせいだったのではと考え込むこともあります。ですから医療現場においては、手放しで喜べることというのはそうそうないんですよね。
 だからこそ、子どもが元気になった様子を目のあたりにしたり、親御さんが「だいぶよくなった」とにこにこされているのを見たりすると本当に嬉しいわけですが、それにしてもとりわけ印象に残っているのがこの2人との再会です。自分が過去にがむしゃらに取り組んできたことが、実を結んだという感覚をおぼえましたね。
 2人と再会できた今年は、恩師の原田先生が他界された時期でもあります。今後も治療に励みつつ、先生に教わったことを世に広めなくてはと切に思います。

小児診療へのプライド

 小児診療はどうしても採算の合わないものなので、私は開業医の立場から少しでもみなさんの助けになれるよう、日々診療に臨んでいるつもりです。経営のことはよくわからないですが、診療にはこだわりをもっています。
 まず、ありふれた病気を的確に診断すること。風邪、と十把一絡げに言っても、夏風邪やお腹の風邪など色々あります。それらの原因をできる限り見分けて治したいというのが私のこだわりです。
 その際に大事なポイントが、まず“鼻”を診ることです。鼻は感染症の交差点などとも呼ばれ、感染症予防などの見地からもとても重要な器官。鼻を悪くすると、副鼻腔炎、中耳炎など、さまざまな病気の原因になります。ですからどういう状況でも、鼻の治療の大切さをまずは保護者の方に伝えています。鼻吸いと点鼻薬と鼻洗浄を使い分け、自宅でどう鼻を通すかを重点的にお教えするんです。
 開業するまで気づいていなかったんですが、臓器という見地から鼻は実に重要な器官なんですよ。空気清浄機の役割も担うし、冷たい外気を瞬時に暖める力もある。ほこりなどの異物を鼻汁で包み込んで侵入を防ぐというトラップ機能も持ち合わせている。このようなたくさんの働きをする鼻のよさを最大限活かすことで、子どもの感染症を予防できるんです。
 小さいうちは抗生剤などに頼らず、鼻の自浄作用を発達させ、免疫をつけさせることが大事です。長期的に見て、後々病気を発症しにくい体質にするためには、これがいちばん。
 予防医学的な発想で鼻にこだわる大切さを、これからも地道に啓蒙していきたいですね。

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待合室にはおもちゃもたくさん。“見るとラッキーになる”と評判のアートも飾られている

 もうひとつのこだわりが、迅速に治すことです。
 治療というのは不思議なもので、患者さんの全体像や生活がつかめると、スムーズに治療が成功するんですよ。細かな状況を想定して方向性を定めていけるのが大きな要因でしょうが、“病は気から”の反対の現象とでも言いましょうか。患者さんのことをわかったうえで、いい“気”を注ぐような気持ちで治療に臨むと、治りが早いように思えますね。
 理論を越えた治療の大切さも、開業してからわかるようになりました。薬をあげて終わるのではなく、プラスアルファの付帯価値をいかに患者さんにもたらし、早く治して差し上げるかが医者に求められることでもあるでしょう。
 そういう意味で、今後も肌感覚での医療に取り組んでいけたらと思います。

「何もしない」ことをする

 どんな職業についても同じことが言えると思うのですが、仕事というのは楽しいものではありません。診察の時間内に患者さんのことを考えて、親御さんのニーズにも応える。集中して気持ちをこめなくてはならないことだから、診療はとても疲れます。結果的に、仕事は精神修養の意味合いも強いものだと思います。
私にとって医者という仕事は、社会に還元する義務として取り組む側面が強いです。地域医療に貢献して、先達の知恵を世の中に還元する。それが目的であって、楽しむ類のものでは決してないですね。
 ですから診察室の中で気疲れすると、動かさない体とのバランスも取れないので、運動を兼ねた気分転換は日々積極的におこなっています。
 自宅ではミニチュアダックスを飼っていて、毎朝30分は散歩します。石神井川沿いにきれいな公園があるんですけど、2㎞くらいのコースを歩くようにしていますよ。緑が気持ちいいんです。
 ほかにも水泳はよく行きます。週2回は通っています。健康管理・体力維持のために1000mを30分ほどかけて、ゆっくり泳ぐんです。これを始めてから、風邪を引きにくくなりました。
 でも、なにより好きな気分転換は、家族と無為に過ごすことです。なにもせず、弛緩した時間の流れに身を任せられるのはありがたいことですね。

取材・文/戸谷妃湖(とたに ひこ)
広告代理店のコピーライターを経て、現在フリーライターとしてロンドン・北京・東京の三都市を基点に活動。被虐待児童におけるトラウマティック・ストレス学、および漢方による精神疾患アプローチに関する研究をライフワークにしている。

のと小児科クリニック

医院ホームページ:http://www.noto-clinic.com/index2.html
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住宅街の中に位置する同院。花壇には色とりどりの花が。
医院へは東京メトロ「平和台駅」から徒歩3分。詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目・設備

◎小児科・内科・アレルギー科・循環器科
*予防接種・乳幼児健診・育児相談は随時受付致します。
*駐車場12台分

能登信孝院長 略歴

能登信孝院長

昭和58年 日本大学医学部卒業
昭和62年 日本大学大学院医学研究科博士課程(小児科)修了・医学博士
昭和62年 日本大学医学部小児科学教室入局
平成 7年 小児科医局長
平成11年 獨協医科大学小児科非常勤講師
平成13年 日本大学医学部小児科兼任講師・東京都学校心臓検診判定委員
平成13年 練馬区平和台に「のと小児科クリニック」開業/現在に至る

■所属学会ほか
医療法人社団のと小児科クリニック理事長/日本大学医学部兼任講/小児科専門医・循環器専門医/米国循環器学会正会員(FACC)/小児保健学会/小児循環器学会/日本循環器学会など



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