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[クリニックインタビュー] 2016/03/04[金]

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患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医のお医者さん。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

三宅漢方医院 三宅和久院長

「すべての人に医療を」との思いから、僻地医療へ

 もともと生物が好きで、生物の試験では福岡県で3番目になったこともあります。でも数学は下から数えたほうがいいくらいひどくて。生物関連の職種につきたいと思って九州大学の農学部を受けたのですが、数学がひどかったせいで落ちてしまいました。ただ、浪人して頑張ったら、成績が急に上がったんです。どうせならば医学部を狙おうと思い、2年浪人して岡山大学医学部に入りました。
 大学に入ってからは、最初は研究方面に進もうと思っていたのですが、実習しているうちに、僻地や海外での医療に興味が沸いてきました。田舎では医師の数が足りずに困っている人が多くいましたし、僻地のほうが自分が役に立てるかもしれないと考えたのです。それと、皆に医療を行き渡らせたいという思いもありました。
 そこで、僻地医療に携わるために全ての科を経験しておこうと思い、専門科に特化した岡山大学病院ではなく、宇治徳洲会病院に入りました。当時、岡山大学病院に残らない人は1割以下でした。昔は関連病院が多い大学でないと就職先がなく、それを目当てに来ている人も多かったので。「なんで出ていくの?」と聞かれて、「だって、ここにいたら色んなことができないから」と答えていました。「珍しい奴だな」などと言われていましたね。(笑)

AMDAでの医療ボランティアを経て、独自のボランティア活動を開始

 宇治徳洲会病院では小児科に入局しましたが、その頃、AMDA(アムダ)の医療ボランティア活動に誘われました。こうした活動は若い時にしかできないだろうと思い、参加することにしました。イランに流入したクルド難民の救援活動を皮切りに、10年間、普段は岡山の町外れにある集落で通常の医療をしながら、何かある度に海外へ一時隊で赴くという生活をしました。
 その後、もう少し腰を据えて海外で働いてみたいと考え、AMDAを退会することにしました。そして、以前、AMDAでミャンマーに鍼灸を教えに行ったのですが、その時の反応がとても良かったのでミャンマーに行くことにしました。ここなら援助したことが実を結ぶだろうと思ったからです。
 また、私の父は、経済的な理由から大学進学をあきらめたのですが、ミャンマーにも、才能があっても経済的な事情で大学に行けない人がたくさんいます。彼らに父と同じ思いをさせたくないという思いもありました。
 ただ、当時のミャンマーは軍事政権下で経済制裁を受けていたことなどから、実際、現地の人のための医療を普及させるのに難しさを感じました。それで「日本で、自分でもう1回やろう」と思い、親や親戚がいる福岡に戻ってきて、改めてお金のかからない“廉価医療”の普及と教育支援活動を始めました。

※AMDA(アムダ)…相互扶助の精神に基づき、災害や紛争発生時、医療・保健衛生分野を中心に緊急人道支援活動を展開。世界30ヵ国にある支部のネットワークを活かし、多国籍医師団を結成して実施している

結果を出すのが医師。より多くの人を救うために知識と経験を伝えたい

 私は、医師は行ったことの結果に対するお礼としてお金を受け取っていると考えています。ですから、結果を出すため、現代医学や伝統医学にこだわらず、なるべく早く、安くて効果的な医療、いわゆる廉価医療を提供するよう努めています。また、再発防止のため生活面の指導は徹底的にします。
 また、医師であるからには、知識や経験を広げて治す人の総数を増やさないといけないですよね。そのためには、自分一人の力では限界があります。これまで培った知識や経験を自分だけにとどめておくのではなく、若い先生方に伝えるのが大事だと思います。

取材・文/後藤 玲(Rei Goto)
医療系を中心にWEB、紙媒体で執筆。健康、料理、お菓子作りなど生活全般における執筆も得意とする。病院取材の他、一般企業への取材活動も行っている。

三宅漢方医院

医院ホームページ:http://www.miyakekanpou.com/

福岡市地下鉄空港線「天神駅」から徒歩5分。アジアンテイストで、落ち着いた雰囲気の院内。赤い特徴的なロゴが目印になっています。詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目

内科、小児科、皮膚科、婦人科

三宅和久(みやけ・かずひさ)院長略歴
1989年 岡山大学医学部卒業。宇治徳洲会病院にて各科ローテーション研修後、同院小児科に入局。この頃から漢方勉強会に参加。
1991年 AMDAによるクルド難民救援活動に参加。その縁でアスカ国際クリニック(岡山)に移り、同院の医師から漢方と鍼灸を学ぶ。
10年間日本の地域医療に従事する一方で、インド・マハラシュトラ州大地震、ルワンダ難民、チェチェン難民、サハリン地震、アフガニスタン北東部地震、コソボ難民、台湾中部大地震などの世界各国の災害内戦地での緊急救援に参加。
1997年 10か月間、南京中医薬大学に留学。
2003年 1年間ミャンマーに滞在。廉価医療普及のため鍼灸、吸い玉療法を伝授。
2004年 福岡輝栄会病院に勤務。
2005年 正信会水戸病院内科に勤務。
2008年 三宅漢方医院開業。


■著書
「護鬼の里」(吉備人出版)、「AMDA緊急救援出動せよ!」(吉備人出版)、「ルワンダからの証言―難民救援医療活動」レポート(AMDA/分担執筆)、「臓腑経絡・三焦の弁証と処方」衷中会 (たにぐち書店/分担執筆)、「医学衷中参西録」張 錫純 (著)衷中会(たにぐち書店/分担執筆)


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