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[医療人] 2016/10/14[金]

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患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医のお医者さん。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

医療法人芍薬会 灰本クリニック 灰本元院長

幼い頃に見た医師の姿を胸に焼き付けて

 普通のサラリーマンの家庭に育ちました。大学2年目の夏に、突然父が亡くなってしまい、苦労して医学部に通いました。やっと5、6年前に奨学金を払い終わったくらいです。

 大学院やがんセンター研究所で病理の研究をしていた時に、自分は研究を続けていいのかという迷いが生まれた時期があり、基礎研究を続けるか臨床にもどるか、自分の向かう方向がわからなくなっていました。たくさんの英論文を書いて周りからも評価されていたときも、常にいつも「なんのために医学部に行ったんだ?」と自問自答していました。そんな時、ある昔の記憶がよみがえってきました。

 小学校6年生の時に、猩紅熱にかかったんです。高熱が何日も下がりませんでした。当時、私の家の近くには開業医のH先生しかいませんでした。僕の同級生のお父さんでした。母は家から歩いて5分のところにある医院に往診のお願いに行きました。母によると、夜中の12時頃呼び鈴が鳴って、懐中電灯を持ったH先生が玄関に疲れ果てた顔をして立っていたそうなんです。母はそれはもうびっくりして。H先生はずっと往診して回っていたに違いなく、そんな遅い時間になったようでした。僕の家は診療所に近いから最後の往診だったんです。僕はその玄関に立つH先生を見ていません。夜中に呼び鈴の音が聞こえた後、先生がそっと部屋へ入ってきて、隣に寝ている兄弟を起こさないため懐中電灯の明かりで診察して、「猩紅熱みたいですね、入院させましょう」と小さな声で母に言った、その声を今でもはっきりと覚えています。

 この記憶こそが医学部に行こうと思った原点で、ずっと僕の根底にありました。町医者というのは素晴らしい職業です。当時勤めていたがんセンター研究所の所長のN先生からは退職希望を出した時にかなり引き止められました。しかし、その先生もまた町医者の息子さんだったので、最後にはよく理解してくれ、開業医は医師の本分だから頑張れ、と送り出してくれました。

なんとなく訪れた漢方の見学から、深みにはまっていった

 がんセンター研究所に勤務していた時、日本漢方の先生の医院へ週に1回くらい見学に行っていました。しかし横で診療を見ていても、どうしてこんな処方をするのかよくわかりません。先生に質問しても根拠や理屈はあいまいなのです。仕方がないので、自分で中医学の本を買って調べました。その頃の私は無知で、漢方に中医学と日本漢方という二大流派があることさえも知らなかったのです。

 中医学の本には生薬の解説が書いてありましたから、生薬の名前と効能を一個一個、受験勉強のように覚えていきました。現場で教わったのは日本漢方で、読んでいた本は中医学ですから、この二つはまったく違うことはよく分かりました。その後、中医学を中国の複数の先生たちから一対一で教えてもらいました。ところが、数年間、毎日患者へ煎じ薬を処方してみると中医学の胡散臭さを感じるようになりましたが、生薬は本物だと信じていたので、生薬と人体の反応について患者から教えてもらうという勉強方法は止めませんでした。そう信じられた理由は、四半世紀前の当時の日本で使われていた西洋医学の薬の6割が、生薬から生成された物質を基にしていたからです。

 中医学の臨床を卒業したいと思っている頃、江部洋一郎先生の経方医学※と出会って、「ここには中医学に比べて人体の本当のことがあるな」と思ったのです。人体の気と津液の流れとその調節、それらと生薬を関係が詳細に語られていました。つまり、傷寒論・金匱要略の処方構成が出来上がった理由を非常に精密に解析していたのです。中医学と多変量解析の基盤の上に江部洋一郎先生の薫陶もあって、自分の心の中で発展させてきたのが今の僕の漢方です。

※経方医学 漢方医の江部洋一郎氏(高雄病院名誉院長、京都市)が提唱している理論体系。漢方の古典といわれる『傷寒論』『金匱要略』の解釈を再構築した。

名古屋を漢方の発信基地にしたい

 漢方の研究会「名古屋百合(びゃくごう)会」を作ってから、もう26年になります。会の名前は百回会おうね、という意味で付けたものですし、生薬の名前でもあります。後継を育てるという面でも、毎月26年間も一回も休まずに勉強会を開いています。発足当時は中医学を、途中では医師が集まって症例を集め多変量解析を行い、複数の論文にまとめました。たとえば五苓散が雨の前の頭痛に有効というのは私たちの多変量解析の成果です。最近の7年間は経方医学に力点と置いて、名古屋に江部先生の経方医学を引き継いで残していきたいと思っています。

 休みの日は患者データを入力して解析したり、論文を書いたり、講演のスライド準備をしています。今はある英論文を書き終わって、共同研究者からの返事を待っています。

 ぼーっとできる休日はほとんどなくて、時間があくときは長野へ遊びに行きます。でもほとんどの休日は、患者の紹介状を書くこと、研究論文、講演の準備、今回のような取材、出版編集などで時間がつぶれています。

さらなる漢方の追究が、引退後の楽しみ

 漢方の効果や可能性は患者さんが教えてくれます。かつてアトピーで苦しんでいた患者さんの皮膚症状が劇的に改善する生薬の組み合わせを見つけることができました。含まれている生薬のうち、一つだけを変えるなど自分で細かく調整ができる煎じ薬だからこそ発見できたと思います。

 今の患者の数と仕事内容は多すぎて余裕がまったくありません。引退したらこれまでゆっくりできなかったことに取り組みたいですね。漢方は終わりがありません。分からないことだらけですからね。絶対にまだ見つかっていない真理があると思っています。今から楽しみです。 

取材・文/服田恵美子(Hatta Emiko)
ライター・翻訳・脚本制作・構成作家。ジャンルを問わず紙媒体からWebまで、文字のあるところなら何処へでも、呼ばれて出向いて活動中。兼業ライター時代に培ったリサーチ力とフットワークの軽さを活かして、取材と執筆を行う。

医療法人芍薬会 灰本クリニック

医院ホームページ:

JR中央線「春日井」駅を西へ800m、弥生町交差点角、徒歩約15分。優しい色調でまとめられた待合室は、採光のため窓を広くとっており明るく開放的。可能な限り患者さんにストレスをかけない治療を提供しています。車で来られる場合は、駐車場はクリニック敷地内に18台、道路を挟んだ駐車場には28台が利用可能です。
詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目

内科、消化器科、循環器内科、糖尿病内科、呼吸器内科

灰本元(はいもと・はじめ)院長略歴
昭和53年 名古屋大学医学部卒業
昭和53~56年 関東逓信病院(現NTT東関東病院)内科レジデント
昭和56~61年 名古屋大学医学部第一病理学教室
昭和61~62年 愛知県がんセンター研究所
平成62~平成2年 中頭病院(沖縄市)内科勤務
平成3年 灰本クリニック開業、診療の特徴は高血圧、ローカーボ食による糖尿病治療、癌の診断、漢方、臨床心理など。



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