第38回 エンジニア志望から漢方医へ
[クリニックインタビュー] 2009/10/16[金]
第38回
松田クリニック
松田治己院長
エンジニア志望から漢方医へ
僕が最初に医者になりたいと思ったのは19歳くらいでした。高校を卒業するときには、エンジニアになりたかったんですよ。父はサラリーマンでしたし、医師という職業を身近に感じたことはなかったですね。航空関係の仕事に就きたいと思って大学受験をしたんですが、浪人をしまして、そのときに人の役にたつ仕事として医師の道も思い浮かんだんです。その後、通信の大学に入りましたが、やはりもうひとつの道を選びたくなって、医大に入りなおしました。エンジニアと医師というと、一見かけ離れているように思われますが、理系という点では共通していますし、物を直すか人を治すかというだけなので、自分のなかでは同じような感覚でした。子供の頃からものの仕組みを調べて、直すことが好きでしたね。それと、父が甲状腺の病気になったことがあったので、家族の中に病気の知識を持っている人間がいたほうがいいんじゃないかという気持ちもあったんだと思います。
木彫りの「神農様」の像。薬草を自らなめている姿。患者さんからの贈り物だとか僕の実家は群馬ですが、縁があって富山大学(旧富山医科薬科大学)に入りました。入学当初は、漢方にはまったく興味ありませんでした。この道に進むきっかけは「赭鞭会」というサークルです。この名前は中国の神話に出てくる「神農様」が赤い鞭を使っていろいろな植物を叩き、それを舐めて薬草を見分けたという故事にちなんでいます。富山大学には和漢薬研究所というのがありまして、そこの生薬部門の先生方や学生が中心になっているサークルでした。初めは同じ医学部の同僚に誘われての参加でしたが、そのうちに僕のほうがサークルの雰囲気や活動内容に興味を持ってしまったんです。でも僕は悪い学生で、サークルでは勉強よりも遊んでばかりでしたよ(笑)。
漢方をやっている人間は漢方馬鹿ではいけない
診察室には漢方薬の材料が陳列されている。牡蠣や紅花など身近な名前も多い 僕たちの大学は新設で、僕たちが第一期生にあたります。そして4年生になった段階で付属病院ができました。「富山の薬売り」というくらい、古くから売薬商が盛んな土地ですから、やはり病院にも漢方外来を作りたいという意向で、和漢診療室というのができたんです。そこにサークルの先生方が赴任したため、僕も出入りをするようになりました。そうこうしているうちに、5年生のときに僕が腰椎椎間板ヘルニアになったんです。整形外科の治療を続けましたが、いっこうに症状が改善しない。そこで和漢診療室の先生に相談したところ、一週間で痛みが取れたんです。それ以前にも自分で調合した漢方薬で、長引いた風邪がよくなった経験などもあり、「これは面白い治療だな」と思うようになっていったんです。西洋医学とは別の方向からの治療を研究することも、患者さんのためになるんじゃないかという感じですね。
卒業の際には地元の群馬に帰って内科の医師になるという道もあったのですけれど、せっかく興味を持った漢方の研究を続けたいと思い、和漢診療室に入ることにしました。また、大学の先生方には「漢方をやっている人間は漢方馬鹿ではいけない。現代医学にも精通したうえでなければ漢方は使えない。そのために最先端の研修システムを提供する」という教育体勢や理念に共感したことも大学に残った理由でした。
その後、新潟の病院で和漢診療を広めるために派遣されたりしたのですが、やがて大学で漢方を科学する――つまり漢方が効くとか効かないとかを研究レベルで解明して、その結果を後輩や学生にフィードバックしていくという仕事が主になってきました。そして2000年に自分のクリニックを開設するわけですが、これも自分の中ではあまり大きな転機という気持ちはなかったです。漢方の研究は臨床と切り離すことができません。患者さんに直接漢方を提供してその有効性を実証したり、効かないものを見つけたりするのも、研究という意味では同じで、大学病院でやるかもっと一般のフィールドでやるかだけなんです。
「未病治す(みびょうちす)」に役立つのが漢方医学
病気というのは医者が治すものじゃないんです。患者さん自身が治るのを手助けするのが医者の役目。ですから、患者さんと医者の両方が「病気を治そう」という気持ちを共有するのが大切だと思っています。具合の悪い原因が体質や慢性疾患によるものだと、薬の効果が表れるのに時間がかかります。途中で中断したり、間違った薬の服用をすると意味がありません。患者さんは具合が悪くて病院を訪れるわけですが、どこが悪いのか、何が原因になっているのか、知識や情報を提供して、治すためにどうしたらいいのかを納得してもらうように心がけています。
診断をするときには、まず問診で大きな筋道を立てて、それから脈を診たり、触診したり、声の出しかた、呼吸のしかた、汗のかきかたなどから、どんな薬を出したらいいのかを判断していきます。漢方では望・聞・問・切の「四診」と言います。望は見る、聞は匂いをかいだり音を聞くこと、問はいわゆる問診で、切は触診ですね。機械は一切使いませんからローコストです(笑)。しかし漢方医だからといって、漢方だけを出していればいいわけではなく、癌など現代医学的な病気を見逃さないように注意が必要です。癌の患者さんのQOL(クオリティーオブライフ)を高めるために漢方を併用することがありますが、根本的に治療することはできません。最近になって予防医学というのが注目されていますが、漢方には「未病治す」という言葉があります。大きな病気になる前に問題を発見して、方策をたてるという意味で、漢方はそれには役立つと思います。
漢方診療の難しさこそが医師のやりがい
漢方の診療で難しい点は、患者さんそれぞれの病態を掴むかということです。一般的な医学は、たとえばインフルエンザならインフルエンザという診断がつくと、誰にでも同じ薬がだいたい対応できます。ですが漢方薬は同じ症状でも、その人それぞれに合った薬を処方するので工夫が必要になるんです。簡単なことではありませんが、逆にそれが医者としてのやりがい、醍醐味でもありますね。また、大変だからこそ、患者さんが良くなってくれたら本当に嬉しいです。医者になって良かったと思うのは、患者さんに良くなってもらったとき、それだけですよ。
自分自身の健康管理としては無理をしないこと、規則正しい生活をすることを心がけています。富山にいたころは海が近いので釣りをしたり、冬は山でスキーをしたり、大学の同僚と野球をしたり、体を動かすことが好きでしたが、頚椎を傷めてしまってから、スポーツはしなくなりました。このあたりは海も山も遠いですしね(笑)。僕のストレスが溜まるのは、患者さんの症状が良くならないときなので、ストレス解消のためには患者さんの病気が治ることが一番なんです。
これからの目標はもっと上手に漢方を使えるようになりたいということです。薬というのは100%これが効く、というのはないんですよ。抗生物質だって9割のばい菌には効くけれど、残りの1割には効かないんですね。漢方薬はさらに診断の精度が問題になってくるので、薬の力を活かすには、患者さんそれぞれに合ったものを選ばなければいけない。そういう意味で、今後さらに効果的な治療ができるようになりたいと思っています。
編集者として10年間出版社に勤務した後、独立。フリーライター・フォトグラファーとして、心身の健康をテーマに活動中。理想的なライフスタイルの追究をテーマに執筆を手がけている。
松田クリニック
医院ホームページ:http://www31.ocn.ne.jp/~wkn/

待合室のテレビに映る映像は院長先生の編集。
JR京浜東北線、北浦和駅西口から徒歩5分。詳しい道案内は医院ホームページから。
診療科目
内科(呼吸器・循環器・アレルギー・リウマチ・など)
漢方専門外来(日本東洋医学会 漢方研修指定施設)
検診:特定検診・さいたま市検診・女性のためのヘルスチェック
予防接種:インフルエンザ予防接種・肺炎球菌ワクチン
松田治己(まつだ・はるみ)院長略歴

1983年 国保松戸市立病院(千葉)勤務。
1985年 富山大学医学部(旧富山医科薬科大学医学部)付属病院和漢診療部勤務。
1987年 ゆきぐに大和総合病院(新潟)にて和漢診療を担当。
1989年 以降、富山大学医学部(旧富山医科薬科大学医学部)付属病院和漢診療部。
和漢診療学講座にて博士号取得。助手、講師、助教授を歴任。
1995年 富山県立中央病院勤務(内科和漢診療科科長)。日本東洋医学会専門医制度北陸地区委員長、同学会編集委員、指導医を歴任。
2000年 松田クリニック開院。
■資格・所属学会他
日本東洋医学会、和漢医薬学会、日本内科学会、日本アレルギー学会
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