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[クリニックインタビュー] 2010/02/19[金]

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大学病院が医療の最先端とは限りません。患者のこと、地域のことを第一に考えながら、独自の工夫で医療の最前線に取り組んでいる開業医もたくさんいます。そんなお医者さん達の、診療現場、開業秘話、人生観、休日の過ごし方、夢などを、教えてもらいました。

第55回
柴崎ファミリークリニック
新藤克之先生

“国境なき医師団”との出会い

sibasaki_clinic01.jpg 僕が医師を目指すようになったのは、早稲田大学に在籍していたときです。仲良くなったインド人留学生の実家を訪れたことがありました。彼の家は大金持ちで、至れり尽くせりもてなしてくれましたが、別の景色も見てみたくなりスラム街に潜りこんだんです。そこで出会ったのが、“国境なき医師団”の医師たち、そしてNPOで貧困救済のために働く人々でした。僕は「自分は何をやっているのだろう」と、打ちのめされましたね。その頃の僕は授業をさぼったり、アメフトやヨットにばかり熱中して、特に目標もなく毎日を過ごしていたんです。
 しかしその出会いをきっかけに医療に興味を持ちはじめ、医師の道に進むことを決意。3年生で大学を中退しました。僕にとって予備校の授業はレベルが高かったので、高校1年の教科書から開きなおして独学で勉強。翌年、自治医科大学に合格することができました。

島の人々に魅了されて

 自治医科大学は、僻地医療に携わる医師の育成に力を注いでいます。東京都がお金を出して学費を補助してくれるかわりに、御礼奉公として僻地医療に携わるんです。僕の初めての研修先は、小笠原の父島でした。研修期間を終える頃にはすっかり島に魅了され、その後も青ヶ島、小笠原と、10年間にわたって離島医療を続けました。
 だけど最初は面くらいましたね。僕の専門は外科だったのですが、島には当然大きな病院などありませんので、内科から小児科、整形外科、産科、緊急手術、往診など何でもこなさなくてはならない。しかも診断は常に迅速で、的確でなければなりません。必要と診断された患者さんは本土の大きな病院に行くのですが、船で丸一日かけて移動します。本土での滞在費も、すぐ20万くらい超えてしまう。患者さんには決して無駄足をさせられません。
 重症で緊急処置が必要な患者さんは飛行機で本土に搬送しますが、それも10時間はかかります。一瞬の遅れが命取りになるような場合、たとえ専門外の手術であってもやるしかない。以前、子宮外妊娠の患者さんが運び込まれ、本土に搬送していると間に合わないので、僕が手術を行ったことがあります。自分で麻酔をし、輸血をしながらの手術。輸血パックなどないので、島の人々に輸血を呼びかけました。島中から若い人がたくさん集まってくれたおかげで、乗り切ることができたのです。
 医療の世界で、僻地医療は“アウトロー”と見られがちです。しかし実際は非常に厳しく、重要な仕事。毎日責任の重さを感じながら、必死で続けてきました。とても大変でしたが、僕は島の暮らしが好きでした。島の人々はいつもお互いを気にかけ、支えあって暮らしています。ワゴンを走らせて往診に行けば、おばあさんが「ご飯食べていけ」と声をかけて下さる。休日には漁師の方に釣りを教えてもらい、診察が終われば島の人々と酒を酌み交わす。誰かの具合が悪そうなら「先生、○○さんのところへ行ってあげて」と教えてくれます。島の人々に可愛がってもらい、温かく接してもらったことは、今でも僕の原動力になっていますね。

本当に求められる医療とは


待合室横のキッズルーム。

 医療は、人と人とのキャッチボールです。高度な技術を使って病気を治す、それはとても良いことですが、医師には必ず“絶対に患者さんを治してあげよう”という情熱があってほしい。僕は島で、“自分にできることは精一杯やって、これ以上は無理だと思ったらほかの病院へ紹介する”という仕事を、まじめに淡々と続けてきました。僕が患者さんを思うほど、それは日々の仕事を通して患者さんに伝わります。患者さんは、それを何倍もの感謝や、温かい心で返してくれるんです。
 僕は東京・広尾の救急センターにも勤務していました。毎日のようにご老人が救急車で運ばれてきますが、一人暮らしで誰とも医療の接点がなく、突然心臓が止まっても近くに家族がいない。病院に搬送されて、知らない人――僕らのことですが――に心臓マッサージされる。都会は医療支援がこれだけ整っているのに、孤独な死を迎える方が本当に多いんです。
 島なら、ちょっと具合が悪ければ、誰かが心配してくれます。亡くなるときも、人々は島に帰りたいと望みます。それを無理に大病院に縛りつけるのではなく、家族や親戚が家に集まって、亡くなるのを看取ってあげるんです。そこには高度な専門医療こそありません。しかし人間が70歳、80歳を超えたとき、本当に優れた医療とは、果たしてどちらなのでしょう。
 このような現状を見たとき、「離島で行ってきた医療を行う診療所が、都会にもあるべきだ」と思いました。ずっと島にいてもよかったけれど、「僕が自ら理想的な病院を実現して、啓蒙していかなければいけない」と思い、クリニックを開業することにしたんです。

理想の医療をかなえる“アイランド構想”

 今、僕の専門は “総合医療・家庭医療”です。それは外科や内科という範疇を越え、あらゆる病気や健康に対し総合的に診療することです。
 人は、いろいろな病気にかかります。特にご老人の場合、病気がいっぺんにやってくることもありますよね。血圧が高い、腰も痛い、皮膚にもしっしんができ、夜はなかなか眠れない。こんなとき、そのつど違う科にかかっていたら本人の身が持ちませんし、医療費もかさむばかりです。この問題を解決するためにはどうするか? それは、まず一ヵ所の地域“総合”診療所で、最初に患者さんを診てあげる“プライマリー・ケア”を行うのです。そうすれば、患者さんがあちこちの病院にかかったり、ちょっとした怪我で大学病院に行く必要もなくなります。言葉を変えれば“広く浅く”診療する、しかし“浅く”の部分を一般病院レベルまで引き上げた医療を提供する、ということ。
 このようなホームドクターが地域にいくつかあれば、大学病院・総合病院との役割分担が明確になります。最初は僕らのような総合診療所で患者さんを診て、もし治療に専門的な医療、より高度な医療が必要なら、大学病院や総合病院で治療できるようコーディネートしてあげれば良いのです。その方が、大学病院や総合病院の先生方も、より専門的な治療に専念できるでしょう。
 アメリカはホームドクター、イギリスではジェネラル・フィジシャンなど、あらゆる国に総合診療可能な地域病院があります。また、そこで働く技能をもった医師育成の体制も整っています。日本では、やっと近年になって全部の科を研修することが義務づけられました。しかしいまだに“総合”と名乗れるのは大学病院などの大病院に限られています。
 この先、日本の医療に必要なのは“プライマリー・ケアのできる総合診療所”です。僕は、離島医療でそれを強く感じました。島の人々の生き方、死に方を通して、本当に必要な医療体制とは何かを学び、実現させていく。僕はこれを“アイランド構想”と呼んでいます。島は、地理的に隔離されているから総合診療という措置をとっている。同じことがフリーアクセス地である都会にも展開されれば、医療世界は変わっていくはずです。

自分の感性を信じ、恐れないで

 僕は島で行ってきた医療を、今、都会で行っています。日々の診療のほか、救急救命センターで緊急対応したり、往診も毎日行きます。定期的に往診している人は常時100人くらいですね。ご自宅で亡くなりたい方を看取ることもあります。24時間対応なので、呼ばれれば夜中でも行きます。
 患者さんを診ていて「島とちょっと違うな」と感じるのが、情報を処理しきれていないことですね。インターネット病の人が多い昨今ですが、多くの情報が整理できないなら、見ないほうが健全です。それよりもっと自分の体を見つめ、信じてほしい。タバコが吸えなくなった、お酒がまずくなってきたら体調の変化かもしれない。ショッピングするように医師を探すのではなく、実際に会って相性を見るべきです。
 今、多忙ではあるけれど、好きなことをやっているのでストレスはたまりません。気分転換は庭いじりと毎朝の芝刈り…ゴルフの打ちっぱなしです(笑)。島では毎朝釣りに行ったりヨットに乗れたけれど、今はできないですね。健康のために気をつけていることは、よく寝ること、三食ちゃんと食べること、笑うこと。「笑っていたい」という気持ちを、持ち続けたいですね。

取材・文/瀬尾ゆかり(せお ゆかり)
フリーライター・編集者。編集プロダクション勤務を経て独立。医学雑誌や書籍、サイトの編集・記事執筆を多数手掛ける。ほかに著名人・文化人へのインタビューや、映画・音楽・歴史に関する記事執筆など、ライターとして幅広く活動している。

柴崎ファミリークリニック

医院ホームページ:http://www.shibasaki-fcl.com/
sibasaki_clinic_b01.jpg sibasaki_clinic_b02.jpg sibasaki_clinic_b03.jpg
細部まで清潔感のある、広い待合室。スタッフは皆明るく、丁寧な対応。
スタッフのなかには、島から来ている人も。
京王線柴崎駅から徒歩1分。詳しい道案内は医院ホームページから。

診療科目

総合医療、救急医療、離島・地域医療

新藤克之(しんどう・かつゆき)院長略歴
新藤克之院長
早稲田大学理工学部中退、自治医科大学卒業。
東京都衛生局入庁後、東京都立広尾病院 一般外科・小児科・循環器科・呼吸器科・外科・整形外科、麻酔科・産婦人科・放射線科、多摩がん検診センター 消化器科、小笠原村父島診療所長、青ヶ島村診療所長、東京都医療政策部担当係長・都立駒込病院外科・都立広尾病院総合総合救急診療科(ER)、救急救命センター医院、東京消防庁救急隊指導医、避難指示解除時の三宅島中央診療所長を経て柴崎ファミリークリニックを開業。


■資格・所属学会他
都立広尾病院救急救命センター医員
東京都災害医療援助チーム(DMAT)隊員
ドラマ「Dr.コトー診療所」一部監修や朝日新聞コラムの執筆、K-1リングサイドドクターなども携わる。



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