インタビュー 種市洋(たねいち・ひろし)先生

[インタビュー] 2014年8月12日 [火]

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種市 洋 獨協医科大学 整形外科教授
1960年北海道生まれ。86年千葉大学医学部卒業。94年北海道大学医学部附属病院(現北海道大学病院)整形外科助手。95年から約半年文部省(当時)在外研究員としてドイツ・ハイデルベルク大学整形外科留学。98年北海道大学医学部附属病院整形外科講師、99年労働者健康福祉機構美唄労災病院整形外科部長、2006年獨協医科大学整形外科准教授、12年から現職。

腰部脊柱管狭窄症は必ず治ります。大切なのは治療のタイミング。手術を避けて痛みを我慢していると治るものも治らなくなります。

 種市先生は高校3年生のとき、友達に勧められ、医師でもある英国の作家クローニンが書いた『城砦(じょうさい)』という本を読み、医学を志しました。

「その本は成長していく若い医師を主人公にした、ヒューマニズムにあふれる物語でした。私の父親はサラリーマンで、医者の家系ではありませんでしたが、その主人公の姿に感動して、自分も医者になろうと決意したのです」

 種市先生は千葉大学医学部で医学を学び、医学部卒業後は、生まれが札幌だったこともあり、北海道大学の整形外科に入局しました。

「整形外科は治ったかどうかが、わかりやすいので選びました。手術で患者さんを治せるところに行きたかったのです。骨をいじって形を変えるというところにも興味がありました」

 医師になって4年目、種市先生自身が腰椎椎間板ヘルニアで手術を受けました。

「全身麻酔から覚めたとたんに、痛みがきれいさっぱりとれていることに気づき、驚きました。こんな体験もあって、脊椎外科の領域を専門にすることにしたのです」

 ある年、種市先生は長年、背骨が曲がっていることに苦しんできた中年の女性の手術を手がけました。小児麻痺(まひ)で子どものころから背骨がひどく曲がっていたため、腹部が圧迫され、流動食しか食べられないという重症の患者さんです。遠方に在住の方ですが、ある大学病院から、背骨のひどい変形を矯正する手術で治療実績の多い、種市先生のところに相談がありました。

「背骨をいったん全部切り離し、神経が入ったまま矯正してつけ直すという大手術をしました」

 その患者さんから、先ごろ届いた手紙には「この歳になって初めて、本当の空腹感というものを知りました」と書かれていたそうです。

「呼吸が楽になって、どこまでも歩いていけるという喜びを味わっているとも書かれていました。体を急にのばしたので、かなりの痛みがまだあるはずなのですが、それでも喜んでくれている気持ちが文面から伝わってきました。体の形を整えるということが、人間にとっていかに大事なことか。私にとっても思い出深い患者さんですね」

 種市先生が最も専門とするのは背骨が曲がる側弯(そくわん)症や後弯症ですが、腰部脊柱管狭窄症と腰椎変性すべり症を合併している患者さんに行う、体に負担の少ない固定術を追求し、オリジナルの「ミニオープン腰椎固定術」の開発も行いました。

「患者さんに伝えたいのは、『腰部脊柱管狭窄症は、必ず治る』ということです。大切なのは治療のタイミング。神経の機能がダメになってしまうと、それから手術をしても、痛みやしびれが残ってしまいます。周囲の人に腰の手術をしても治らないといわれ、思い込みから治療を受けずに痛みを我慢している患者さんの話を耳にしますが、それでは治るものも治らなくなります」

 ヒューマニズムを原点に医師を志した種市先生だけに、若手医師にも患者さんを自分の目でしっかり見るようにと強調しています。

「先入観はいけません。医師は自分の目でよく見ること、患者さんの話をよく聞くことが、とても大事なのです」

 取材の日も、腰部脊柱管狭窄症の疑いで、他病院から紹介されてきた患者さんの診察がありました。種市先生が話をよく聞き、触診したところ、変形性足関節症というまったく別の病気と判明したそうです。

「脊柱管狭窄症は、画像検査だけではわかりません。患者さんもどこがどんなふうにつらいのか、医師にうまく伝えることが大切です」

(名医が語る最新・最良の治療 腰部脊柱管狭窄症・腰椎椎間板ヘルニア 平成25年2月26日初版発行)

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