インタビュー 出沢明(でざわ・あきら)先生

[インタビュー] 2014年11月11日 [火]

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出沢 明 帝京大学医学部附属溝口病院整形外科教授
1980年千葉大学医学部卒業、87年同大大学院修了。国立横浜東病院(現聖隷横浜病院)整形外科医長、千葉市療育センター通園センター所長などを経て、91年帝京大学医学部整形外科講師。96年同大医学部附属溝口病院整形外科助教授、2004年から現職。

患者さんが喜んでくれるから体に負担の小さい手術に挑み続ける。今後も、世界の技術革新に先んじ、さらに技術に磨きをかけていきます。

 「のぞく仕事」。これまでの自身の活動を、出沢先生はそのひとことで表します。まさしく、人間の体の中を「のぞき」、神秘に分け入ってきた30年間でした。同時に、その年月は「のぞく道具」との格闘を続けてきた30年間でもあります。開発しては改良を加え、さらにアイディアがひらめくたびに工夫を施すくり返し。内視鏡の試作品は数知れず、倉庫代わりの一室を埋め尽くすほどだそうです。今も、首を振る鉗子や、切れ味のよいドリル式のノミなど、手技の安全性・確実性を求め、道具の開発には余念がありません。

 数え切れないほど体内を見てきた出沢先生ですが「初めて、血管の内部をのぞいたときは衝撃的だった」と振り返ります。その後、胸腔鏡(きょうくうきょう)で背骨を見たときも「肺や心臓が拍動する向こうに脊髄(せきずい)が走る姿は強烈な印象」、そして、最近では、いま最も精力的に取り組んでいるPED(経皮的内視鏡下椎間板ヘルニア摘出術)で用いる超小型カメラが映し出した映像に驚かされたといいます。その可能性を見抜き、間髪を入れずに採用して、現在、国内では他の追随を許さぬ第一人者です。

「患者さんの負担をできるだけ小さくするというのは、外科医にとってヒポクラテス以来の永遠のテーマ」といいます。出沢先生が医師になりたてのころ行っていたヘルニアの手術は「前方」つまり、おなかの側から切開し、いったん腸を取り出して、骨盤の骨を削って行うという大がかりなもの。「ギプスで3週間は固めたまま、入院は4~6週間。それでも骨がつきにくかったり、腸閉塞(へいそく)をおこしたり、大変な時代でした」

 一方、1泊2日、24時間で帰れるPED。患者さんにとっての負担は比べ物になりません。ただ、「負担」は、患者さんそれぞれで違います。出沢先生は有名人の手術も多く手がけてきています。「特に印象に残っているのはあるトップクラスのプロ野球選手。プロ野球をはじめスポーツ選手にとって、メスを入れることは、それ以外の人とはまったく意味が違ってきます」

 一般の人なら感じないくらいの違和感も、体が資本の彼らは敏感に感じ取り、場合によってはそれが命取りになる可能性も。「手術の影響で成績が落ちれば、収入ばかりではなく選手生命を左右することになりかねません。誰だから一生懸命やるということはありませんが、より繊細さや精度が求められることは確か。プレッシャーはかなりのものです」

 神経のそばを触る腰の手術は、どんな患者さんであれ、「神経に何かあったら・・・」と不安はつきもの。そのなかで、医師は、その患者さんの生活、人生を背負って、安全に確実に手術を遂行しなくてはなりません。

 究極のMIS(最小侵襲手術)といわれるPED。目下の出沢先生の目標は、腰部脊柱管狭窄症の椎弓切除術に対するPEDの確立です。「確かに難しいですよ。でも、患者さんが喜んでくれる手技だから続けられます」

 この手術の略語にはPELDが当てられることもあります。ただし、出沢先生には一つのこだわりが。「PLDDというレーザー治療と紛らわしいので、PEDを使うようにしている」とのこと。レーザーによるヘルニアの切除術は、保険医療としてはまだ認められていません。「しばしば重い後遺症に悩まされる患者さんも出ているので、まだ課題のある治療法だと考えています」

 治療のために行った手術によって、さらに強い腰痛、別の腰痛がおこることがあっては本末転倒です。

 PEDの進歩、普及のために、代表世話人として5年前に「日本PED研究会」も立ち上げました。

「PEDを安全にできる医師は全国でもまだ20名程度。あと10年、ライフワークとして、講習会も積極的に開き、後進の育成を含めて、できるだけ患者さんの体に負担の小さい治療の開発、確立に取り組み続けるつもりです」

(名医が語る最新・最良の治療 腰部脊柱管狭窄症・腰椎椎間板ヘルニア 平成25年2月26日初版発行)

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